W杯のまとめ

中田英寿がしっかりまとめてくれていましたね。「まだまだ力が足りない。この結果を素直に受け止めるしかない。W杯1回目はどういうものか分からず、2回目はホーム。今回は本当に戦っている気がした。この結果は残念です」と。
日本にとっても中田にとっても最初のフランス大会では、何だかわからないまま。二回目はホームの利点があり、なんとか良いところまで行けた。今度が本当の実力での勝負だった。毎回最初の少しだけは何とか互角に戦う部分があったが、相手の力次第で、最強のブラジル相手には既に前半から押され、それ以外の相手には後半とか、オーストラリアには終わり間際には完全に相手に押された。振り返ると、日本はドーハの悲劇からの繰り返しです。90分戦えるのが大人とすれば、まだ日本は幼かった。でもね。同じ土俵で戦えた。まして、ブラジルと戦えたのは、10年前には夢のまた夢だったのに比べて、大したものなのです。
日本が世界大戦の渦中になった経緯を持ち出すまでもなく(というより、よく知らないが)、戦後の復興を経た日米経済摩擦などの経緯を見ても、相手の強さと自分の弱点に直面するのは一つの成功の姿なのです。決して自信を失うことはありませんよ。Jリーグの目標は間違いなく実現の過程に有ると思います。すそ野を広げ、ヤングを育てる、これに間違いは無いと思います。ここで気になる論調として、体格の小ささを問題として、大きな選手を、という声です。私自身も165センチだから、というのもあるかもしれませんが、確かに、大きな選手を育てるのは結構ですが、それはあくまでもワールドレベルの話ですよね。それに全員の話ではない、ということですよね。マラドーナはどうですか、ジーコはどうですか、決して身長が絶対ではない。小さくても、当たり負けしない、という人は居るんです。日本人の体格を否定するかのような方向に行かないことをお願いします。さもないと、すそ野を広げる妨げになりかねない。
次の、そのまた次のW杯でも日本は頑張ってくれると思います。きっと。

三冊目も買った

ディジタル画像処理の基礎と応用 酒井幸市著 CQ出版 2003年9月1日初版発行 295ページ2900円

今日はGAでASSSの総会とシンポジウムがあって、早めに出たついでに神保町から三省堂で買ったのでした。

早朝の日本対ブラジル戦、残念でした。今朝起きて、寝ぼけ眼でテレビをつけた瞬間には1対0でリードしていたのを見て、びっくりして目が覚めました。短い間でしたが、幸せな数分間だったと思います。ジーコジャパンよ、ありがとう。すぐに現実にもどりましたけどね。ブラジルは中盤で悠々とボールを回して、チャンスをじっくりと待つ様子。日本はバックスで既に回させられた感じで、中盤にただ放り込むだけ。落ち着かない日本は何ともはや、萎縮させられていた。多分、ジーコの教えを請うにはまだ日本は幼なすぎたのでしょう。4年後目指して、頑張ろうね、ニッポン!!。

本を二冊買った

画像認識システム学 共立出版 大崎紘一、神代充、宗澤良臣、梶原康博 著2005年9月20日初版1刷発行156ページ2500円
画像処理工学ーー応用事例編ーー共立出版 谷口慶治、長谷博行 著 2005年5月25日初版1刷発行272ページ3900円
さて、今から勉強です。
今日はついでがあって、日比谷図書館で関連の本を探そうとしたのですが、残念ながら、月末まで休館になっていて、つい勢いで、以前の通勤経路だった有楽町まで足を延ばして、三省堂で買ってしまったのであります。ですから、書評など、吟味しておりませんです。いや、この類の本は書評がamazonでたくさん出てくる分野でもありませんけどね。今回は、発行日の新しさで選んでしまったような気がします。

歩くと気持ちがいい

今日は帰りに、借りていた本を図書館に返すついでに、地下鉄の2線、2駅分を歩きました。久しぶりに表通りではなくて一筋入ってのところを行くと、ちょうど深川人情通りの端っこで、焼鳥屋のおいしそうなにおいに包まれながらの通りで、みなさんが乾杯しているところで。それを横目で見ながら歩くと、なにやら修行が終わったようなさわやかさがこみ上げてきた、のかな?
まあ、気持ちがいい空気でありました。

日銀総裁の投資

いや、うらやましい。2473万円に1000万円が化けるとは。これが適切なのかどうかはしっかり議論していただくとして、私としてはただただうらやましい。
もしかして、これは、ゼロ金利政策転換のきっかけをつかみかねている日銀総裁が首をかけた、日本国民に投資意欲をかき立てさせる副次効果を残しつつ、辞任をきっかけに政策転換させる目的で打ったサル芝居ではないかと、ふと下司の勘ぐりが頭をよぎりました。まさか、それはないよな。

この影響ではなくて、私もゲームに参入すべくインターネットで使える口座を開設したのであります。今日、開設できたとの通知がありました。申し込みは随分前ですから、このスキャンダルの前です。結構時間がかかるものです。さて、マネー情報を一から勉強です。

「文章表現400字からのレッスン」もまとめ

これはパラパラめくっただけですが、「科学的」とかの特有の表現もあり、特有のお立場だったんだ、と納得した次第です。私の知らない権威をカサに、自分のことを棚に上げながら、ばっさり。でも、その態度が自分に向けられても仕方ないんですよ。純文学ならぬ、純文章だって? 高校生向けにはまさか、そんな教え方はしてないと思いますが、日常生活で役立つものは、この先生は相手にしてないようでした。では、さようなら。この本、買わないで良かった。念のためですが、こんな文句を言う趣旨で取り上げたのでは決して無くて、高く評価する書評を見たもので、素直に学ぶつもりだったのですが、残念です。まあ、独特の文学の世界は、私は縁が無かったようです。

ああそうそう、自分の好みというか、立場を言わないでおくのは、この先生と同じになるといけないので、言います。本田勝一の「日本語の作文技術」は、30年ほど前に読んで、目から鱗が落ちる思いをしましたね。特に、日本語の句読点の打ち方は、他に見ない説明でした。最近のでは、藤沢晃治著の「分かりやすい」シリーズが秀逸ですね。分かるということは大事だと思います。

関係ないですがW杯クロアチア戦、もう一歩でしたね。川口GKは男を上げました。最後にはみんなヘトヘトでしたね。頑張っているんでしょうけど、最後に点を取られなかったのは幸運が味方しました。一縷の望みはあるにしても、ほとんど最後になるだろう今度のブラジル戦で、せめて一矢を報いて男を上げてくれるのは誰でしょうか。頑張って下さいね。

「中高年のための文章読本」のまとめ

中高年のための文章読本 梅田卓夫 ちくま学芸文庫を走り読みしてのまとめをメモしておきます。
私なりには骨子は次のようになると思います。
あとがきから、
『「ことばを知っている」ことが、逆に、妨げになることもあるのです。ここに、中高年の人が創造的な文章を書こうとするときのおとし穴があります。
本書では、すでに「にほんご」のちからを身につけている大人が、創造的な文章をこころざすときに遭遇するさまざまな課題をとりあげて、真の自己表現へ到達するためのみちすじを<方法>として示しました。

第1章 肩書きのない一人の人間として
『<よい文章>とは、
1 自分にしか書けないことを
2 だれにもわかるように書く
という条件を満たしている文章。』(引用の都合で数字の文字を換えました)
第2章 誤れる文章観
『あなたが「象は鼻がーー」に対して「長い」と続けたくなるとするなら、頭のなかでいったん「長い」を消して見ることです。すると、あらためて「象の鼻」が見えてきます。そこから、創造的文章表現は始まるのです。』
第3章 <自分にしか書けないこと>の追求
『まず<思索する>ことが必要なのです。思い出したり、想像したり、推理したり、そういう作業を紙の上に、ときにはポツリポツリと、ときには走り書きで、記録し、消えていかないように蓄積するのが<メモ>です。そうして見えてくるもの、これが当面のところ、あなたの”全財産”なのです。そのなかに「他の人が書きそうもないこと」を見つけるのです。』
『といっても、むつかしいことを書けといっているわけではありません。日常の惰性のようにして流れている自分を、いったん否定して<まっさらな自分>を回復するところから始めるのです。』
第4章 文章は<目>で書く
『「思ったこと」より「見たこと」を』
『 イメージの断片を連ねる
<描写>を試みることによって、はじめて見えてくるものがあります。ふだんは見えているつもりでも、なんと多くのことを私たちは見落としていることか。

第5章<メモ>や<走り書き>の鮮度を生かす

中高年の人々の文章の一般的な欠点をひとことであらわすと「退屈」ということに尽きるでしょう。

第6章 文章セラピーー書くことのよろこび

人は、文章を書くことで、見失っていた<私>をとりもどすことができる。さらに、自分のかいたものを他の人に読んでもらうことで、生きるよろこびと人間への信頼を回復することができる、私はそう考えるようになりました。
ギクシャクは人を(読者を)立ち止まらせます。不整合の部分が、<ひっかかり>の感覚を呼ぶのです。ときには不快感や反発として。ときには、謎、興味、好奇心へとつながり、読者のこころをかきまわし、そそのかし、惹きつける要素とさえなります。
つまり「退屈」の正反対のものを与えてくれるのです。

以上です。

でもね、私は久方ぶりにかなりの反発を覚えながらこの本を読みました。反発の度合いでは、この10年にはなかった程の強さです。著者はかなり退屈していて、「退屈な文章を書くのはやめてよ、きらっと光るのを書いて見せてよ」と言っているように思いました。
そもそも、よい文章の定義から、「誰でも書けるもの」を最初に切り捨てている。文章とか論理に本来表せない色んなことを、枠をはめて表現せざるを得ない悩みを、著者はどうしているのでしょう。色んな思いこみを解きほぐして、分かりやすくしていく根気の要る作業を、後ろから切られているような気がします。いきなりの高みから切って捨てるのは、切られる痛みを味わった経験があるのかな、と思ってしまいます。
それに上記引用から分かるとおり、ひらかな書きがとても多い。カタカナ書きも推奨していますし、自分が新しいルールを作っているのに気づいているのかな? それならそれを明示してもらいたいのですが、言わずに勝手にしているように見えます。こんな態度を私は好きになれません。
私なら、退屈な分かりやすさは、ギクシャクとした独創性に負けない価値があっていいと思うからです。著者が最初に批判している、旧来の権威主義的な文章作法の反対をいこうとして、結局は同じ権威主義的傾向に立ってしまっているのではないでしょうか?

まあ、あれやこれや、年寄りは短気になる、とか聞いていましたが、自分のこの本に対する腹立ちを見ると、これがそうなのか、と自戒する次第です。

絶対勝たなければならない?

W杯の話ですが、今日が対クロアチア戦ですね。テレビ朝日のW杯決めセリフ「 絶対に負けられない戦いがそこにある!!」というのが気になっています。
それは意気の話だったら、そうなんでしょうが、勝負には、特に、サッカーの試合には絶対というのは無いでしょう。やってみないと分からないし、何があるか分からない。だから面白いし、やる気も出てくるというものでしょう。
あとは、テレビのことであれば、負けちゃったら続きの予選中継はなくなるし、この試合は見逃しては駄目、と言いたいのでしょうから、それはそれで良いのです。
なんだかね、あおっておいて、期待させ、期待が外れたら、たたく。そして次は絶対となる。他にすることは無いのでしょうか? 例えば、試合後に暴れていた若者をもっと追求するとかは、マスコミに”絶対に”して欲しいことです。あるいは、一般人を追求するのがいやなのなら、警備陣に何か無かったのかでも良いじゃありませんか。それに、空席が目立つ理由と大会運営のことどもも必要でしょう。視点を変えて、日豪の狭間に立っていた人はどうだったのか、日本とクロアチアの狭間はどうか、とか、いくらでもあるでしょう。
何かあったら、例えば被疑者に一斉に、というのがテレビで良く見る風景なのですが、それは知恵の無さと工夫の無さの現れだと私は見ていますが、それと”絶対”というのが根っこが同じではないかと思うのです。美しくないのです。何とかならないものでしょうか。

今日は雨は大したことなかった

東京では心配するような事態にはならなくて良かった。ただ、新しい靴の性能に課題が見つかりまして、進行方向に縦になった鉄のふた、空気導入口になっているやつですが、これに弱いのです。乾いていると問題ないのですが、濡れると滑る。濡れたエスカレータも同様なので、これはメーカーに言わないといけません。

しかし、今日のW杯のセルビア・モンテネグロ対アルゼンチン戦ですが、マラドーナが目立っていて、果たしてどうなるのか。楽しみです。

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