先週桜の香りを初めて気がつきまして、これは桜餅の香りだと分かりました。今まで桜の花ににおいがあること自体に気づいていなかった。
不信解消にはほど遠く…「計画避難」説明会 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
oyajiの耳には、計画=強制、と聞こえました。計画という意味は、こちらの計画に従ってもらうからね、あなたの都合は斟酌なしだよ、という意味のようでしたね、計画停電も。別な表現にするなら、計画=(供給側だけの)意図による、ということでしょう。この言葉に対する市民感覚が分かっていれば、二度と使えないはずなんですが。多分、東電の用語そのままなのかな。光ファイバー事業を始めた当時、電線の定期点検でとか計画的に光ファイバー上の通信を停止する有様は従来の通信業界の常識から大きく乖離していたのを思い起こします。そうそう、通信部分は東電本体と違って、長生きして欲しいですね。
思い出すのが、骨太の方針という言葉で、枝葉は切り捨てよ、と声高に主張する言葉と聞こえていましたが。こんな言葉を選ぶセンス自体に大いに問題がありますよね。
時代の風:サマータイム制は論外=東京大教授・坂村健 – 毎日jp(毎日新聞) 一律時計を進めるようなサマータイム制は多くの人も指摘しているようにピークを崩さずそのままズラすだけ。そもそも「電力需要のピークを生むのは真昼の空調」という現代では、太陽の出ている時間に社会活動量を増やすことが本質的目的のサマータイムは省エネどころか増エネ要因になる。なにより時計をいじるというのは意図的に「コンピューター2000年問題」を引き起こすようなもの。当時「コンピューターが狂って原子炉が大爆発」などとあおっていた「識者」がいたことを思えば、いまの状況でサマータイムを言い出すのは悪い冗談としか思えない。
oyajiとしては、ICTを作る側の立場として、サマータイムが悪夢であるのは間違いないですね。基盤になる時計を変える訳ですので、それの影響は広範で、テストも長期間を要することになりますから。普通の感覚からは数年後の対処でもぎりぎりだと思います。個別企業で業務の時間をずらせてもらえないかな。
関係ない昔話です。o君と一緒に出張でオランダに三月末に行った時、スケジュール的に一日空いたんです。で、アムステルダムの運河ツアーに行く予定を事前に立てて、当日朝から行った所が、もう出発していた。「何で?」と聞くと、「遅刻だ」と。「ええ?」 「サマータイムで1時間早くなっていたのを知らなかった?」 「はい、日本にはサマータイムないし」。観光案内所に駆け込んで、こういうことでと、「ああそう日本人か」、ということで、手配していただけまして、二時間遅れで運河ツアーに乗れました。やれやれ、でしたがね。多分ホテルとか色々注意書きはあったのかもしれませんが、オランダ語で言われてもね、幕末の緒方塾出身ではないので。オランダはね、鉄道で自転車乗り込みできるのは感心しましたが、公衆トイレで男性用が高過ぎて使えずに子供用を探して使いました。確か、サマータイム開始日とか国で違うんですよね。米国では東部時間とか中部時間があって、それも失敗談があったな。
PHS、震災時に強く 規制少なく「つながった」「見直されてもいい」 (産経新聞) – Yahoo!ニュース 119番通報や、家族への安否確認の“命綱”になっている携帯電話。東日本大震災では東北地方の多くの基地局が不通となり、電話がつながりにくい状態が続いた。一方、PHSやインターネット電話のソフトウエア「Skype(スカイプ)」は比較的つながりやすかったとして注目を集めている。通信方式などが携帯電話と異なるためといい、専門家は「災害時には非常に有効」と評価している。(大竹直樹)
oyajiもWillcomを使っていて、東京の当日3月11日でも問題なく家族につながっていました。家で聞くと、docomoを使っている親戚にはメールだけが通じたそうです。
asahi.com(朝日新聞社):「団体限定」避難住宅、応募3件 仙台市「孤独死防止」 – 社会東日本大震災の被災者のための仮設住宅や市営住宅などへの応募を、仙台市が「10世帯以上の団体申し込み」に限定したため、「そんなに集められない」と被災者に戸惑いが広がっている。被災者の孤独死が相次いだ阪神大震災を教訓にした策だったが、締め切りまであと3日の時点で応募はわずか3件。用意した住宅は1割も埋まらず、市は早くも見直しを迫られている。
NRI、震災後のICTインフラ整備と利活用のあり方をまとめた提言を発表 – クラウド Watch■携帯電話回線のパケット通信が有効に機能
■クラウド活用が不可欠、スマートグリッドの推進も
細野首相補佐官が明かす 「福島第1原発ほとんど制御不能のところまで行った」(J-CASTニュース) – livedoor ニュース 細野豪志首相補佐官は2011年4月16日、BS朝日の「激論!クロスファイヤー」に出演し、福島第1原子力発電所について、「どん底まで行った。ほとんど制御不能のところまで行った」と、一時は危機的な状況となっていたことを明らかにした。1号機が3月12日に水素爆発、3号機も14日に水素爆発で大きく損傷、さらに4号機が15日爆発した当時の緊迫した場面を念頭に置いた発言とみられる。
Blog vs. Media 時評 | マスメディアの劣化:水位上下報道にうんざり 今回の事故が起きてからずっと続いている国内マスメディアの欠陥――政府・東電の問題意識の範囲でしか報道しない、自らの取材力で事の本質を洗い出そうとしない姿勢にはうんざりさせられます。