いじめ、という用語は変えましょう

いじめの問題への取組の徹底について(通知):文部科学省 なお、「いじめ」の定義については、一般的には、「1自分より弱いものに対して一方的に、2身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、3相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされているが、個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことに留意する必要がある。
※ 平成18年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査以降、「いじめ」とは、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的・物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」としている。

Oyajiとしては、いじめという言葉を使うべきでないと思います。上記の平成18年の文科省の定義を一体どれほど多くの人が知っているでしょうか、ほとんど知らないだろうと思います。それだけでなく、一般的な定義とするものでさえ、「深刻な苦痛」と理解する大人は少ないと思います。多分もっと軽いものではなかろうか。軽いものから深刻なものまでの広い範囲の事柄を含むあいまいな言い方が、いじめ、という言葉になってしまっている。
それが、議論がかみあわない原因にもなっていると思います。
もし、いじめ、と言わないとすれば、どうなるでしょう。心理的攻撃とか物理的攻撃とか言うでしょうか? これも何かぴったりこないでしょうか。虐待とか脅迫、暴行、などと言うのではないか、と思うのです。そのほうが深刻なものは犯罪であると明確になるし、議論が進むのではないでしょうか。

いじめ – Wikipediaいじめ(苛め、虐め、英: Bullying)とは、相手の肉体的・心理的苦しみを快楽的に楽しむことを目的として行われる様々な行為。実効的に遂行された嗜虐的関与[1]。
いじめとは「肉体的、精神的、立場的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって一方的に苦しめること」であり、暴行罪、傷害罪、侮辱罪、脅迫罪等の犯罪行為である[2]。特に、1985年(昭和60年)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い[3]。
教育評論家の森口朗は、いじめの考察としては前述の藤田英典の分類を継承して論を進めているが、実際に「いじめ」という言葉で総称されているものは次の4つに分けられるとしている[11]。
子供たちが共同生活をおくる上で当然発生するであろう軋轢。
従来型コミュニケーション系いじめ。仲間はずれにするなど、犯罪の構成要件は満たさないもの。
犯罪型コミュニケーション系いじめ。インターネット上での誹謗中傷のように犯罪とみなしうるもの。
暴力・恐喝型いじめ。暴行や窃盗などの犯罪に問われるもの。
そしてそれぞれ求められるべき対処法は異なり、1のタイプの軋轢の解消は可能な限り生徒の自主性に任せ(教師は2の段階に移行しないかを直接介入することなく見守る)、3・4のタイプでは警察へ通報するなど司法の介入によって解決し、2のタイプのみ教師・学校側が積極的に解決すべき問題であるという。

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