おまけ:北京を一言で言うと、人が一杯です。中華と簡体字も。

東京と比べて、広々としています。だいぶん面積もあるのだろうと思います。それでも、随分と人が多いと思いました。多そうな場所ばかり行ったのかもしれませんが。大体、人が存分に使われる傾向ではないかと思いました。
例えば、道路工事です。日本では、高度成長が終わって、人件費が高くなるとともに、重機を使うように変わったと思っていますが、道ばたで見かけるほとんどの道路工事で重機を見ません。人が作業しています。だから、さほどうるさくないのです。日本だとコンプレッサーとか重機の動く音で、とてもたまらないと思いますが、こちらは静かなものです。これは人件費の関係なのでしょう。
あと、高層住宅が多い。地震が少ないのでしょうか? でも30年前に大地震ですごい犠牲者も出たはずですね。建築基準はどうなっているのか心配です。これは前にマンハッタンの高層街でも心配したことです。つまり、結構古い建物で、高層のものがあって、大丈夫なのか気になります。
それから、オリンピックの影響もあるのかもしれませんが、どこもかしこも、工事中ばかりです。大規模開発の所ではさすがに大きなクレーンが一杯で工事しています。それが一杯あります。それに加えて、町中の道路工事が一杯。それの仕上げで、天安門など文化財の工事中です。これも高度成長を思わせるものになっています。社会資本の整備が急ピッチで進んでいる印象なのですが、どこまで各層に浸透しているのか、気になります。
また、いくつかの店に入って、外国人向けの観光の店とか、デパート、コンビニ、電気屋、とにかく、お客と店員が同じぐらいの数のように見えました。潤沢に人が居るんです。

このような状況は、これからどうなるか分かりませんが、いずれは人件費が高くなり、人の不足もあるのではなかろうか。一人っ子政策も随分進んでいるみたいですし、日本の高齢化とは較べものにならない程のスピードで高齢化社会に達するのかもしれませんが、そのような計算を当然しているのでしょうが、対応は間に合うのか、気になりますね。
まあ、いずれにしても、中国はこれからも世界の中で一目置くことになるでしょう。混乱なく進むといいのですが。もちろん、何か不安材料があるとかいうことではありません。

もう一つ、中華についてです。
いわゆる中華思想です。これはどうも、自然なものだと思いました。象を触ってばかりいると、ネズミの存在が見えにくくなるようなものかな? ですから、尊大とかいう雰囲気ではなくて、これが自然に在るのです。だから始末が悪い面もあるかもしれません。
前に、アメリカ人のことで、同様のことを感じたことがありまして、アメリカ流に考えれば、当然アメリカの基準が世界の基準なのであって、それが通用していない事実があるとすれば、それは背後に不正があった証明である、となるのです。アメリカ=世界という見方です。率直に言って、赤ちゃんの世界観みたいなものでしょう。成長すれば無くなるのならいいのですが、必ずしも、そうはいかない。アメリカ=世界の一部となることがアメリカ人にとって出来るかどうか、これは今後の課題でしょう。中国も同じなのです、多分。

おまけのおまけ。簡体字のことです。つまり、最近の中国で使っている簡略化された文字です。よく分かりませんが、これはもう、戻りようがないのかもしれません。文化というものは、継ぐべき部分と継がなくてもいい部分とがあるのでしょうが、文字のような文化の基本的部分を継がないという発想は、ものすごく乱暴だと私は思いますし、何かが欠けているような気がします。それはさておき、もうやっちゃった。もう半世紀近くきてしまった。これで大勢が育っている。つまり、これで行くんでしょう。もったいないことをしたものです。ローマ字にした方がいい、という議論は無かったのかな。日本では、いまだに日本語をローマ字にすべし、と主張する学者がいるらしいです。新しい文字を作るより、いっそ、表音記号だけにする、という方がすっきりしているように私は門外漢として思います。昔の漢字は繁体字というみたいですが、同じ事の名前に、繁体字、簡体字、英語表記(かな、ローマ字みたいなもの)と、それぞれの地方別の発音と分かれることになる。大変でしょうが、それで行くしかないのでしょう。
ああ、そうそう、日本で、観光案内とか地名表示とかで、漢字、ハングル、英語を併記するのが普及し始めていますが、北京でもハングルと英語の併記を幾つも見ました。漢字は簡体字だけなのかもしれないので、日本人は困るでしょう。

カテゴリー: 北京紀行 パーマリンク