危険学

Amazon.co.jp: 危険学 (図解雑学): 畑村 洋太郎: 本
P195 失敗記憶の法則性
(a)時間の経過で起こる事象の要因
3日 飽きる
3か月 冷める
3年 忘れる
30年 途絶える、崩れる
60年 地域が忘れる
300年 社会から消える
1200年 起こったことを知らない

Amazon.co.jp: 危険不可視社会: 畑村 洋太郎: 本

p148
原子力について、私は「本質的に危険なものである」と考えています。だけど便利なものでもあるので「できるだけ安全な方法で使う」というのが最も実情に合っている考え方だと思っています。
技術論でいうと、前述したような自己制御性や多重の防護により原子力は安全なものになっているので、危険か安全かを議論するのはほとんど意味がありません。それよりも心配なのは、ハードではなくソフトのほうではないでしょうか。原子力を運用する組織が「絶対安全」という考え方に縛られて動いていることのほうが危険であるように思えてならないのです。
安全対策というのは、危ないことを前提に動いているから効果のあるものになるのです。絶対安全というできもしないことを前提にしてしまうと、管理がいつの問にか形式的なものになって、そこから次の大事故、大トラプルの準備が始まってしまいます。『国の基準を満たしているから大丈夫』『マニュアル通りにやっているから大丈夫』というのは、外向きの言い訳ぐらいの意味しかありません。本当にそのような方針で組織運営が行われたら、結局は管理が形骸化し、組織不良によって大事故が起こるのは目に見えています。

p149 
原子力の安全対策として最も大切なのは、危険があることを認めて、想定外の問題にも対応できるように備えることです。私が知る限り、原子力の現場は実際にそのことが出来ているように思います。しかし、少しでも危険があることを認めると、社会が過剰に反応して一斉攻撃を始めるので、対外的には本音の話を一切口にできないでいます。これが原子力の運用の不健全さにつながっているとしたら、社会としてこれほど不幸なことはありません。
この状況を変えるには、社会全体が『原子力は危険であるけれど便利だから使わざるを得ない』ということを素直に認めるところから始めるしかありません。そのためにやらなければならないのは、危険性と利便性に関する正しい情報と知識を社会全体で共有することです。そのうえで、より安全に使うための本音の議論ができれば、原子力は社会にとって多くの素晴らしい恩恵を与える技術になるでしょう

p205 リスク・ホメオスタシス理諭
安全社会の問題には、安全になったがゆえに高まる危険というのもあります。機械やシステムがどんどん安全になることで、それに頼って行動する人間の活動範囲は広がりますが、そのことで逆に危険に遭遇する確率が高まるという問題です。
クイーンズ大学のジェラルド・J・S・ワイルド名誉教授の『リスク・ホメオスタシス理論』は、このような安全社会で高まっている危険について指摘したものです。彼が著した本は立教大学心理学科の芳賀繁教授によって翻訳されて、日本では『交通事故はなぜなくならないか』(新曜社)というタイトルで出版されています。
どんなに進歩した安全装置を自動車に装備しようと、どんなに道路を改良しようと、あるいはどんなに交通違反の取り締まりを強化しても『事故率はそれほど変わらない』というのが、リスク・ホメオスタシス理論の考え方です。この主張は、安全技術の開発や交通安全の活動に真剣に取り組んでいる人たちから批判を受けています。しかし、この批判は誤解によって生じているもののようです。
リスク・ホメオスタシス理論で『変わらない』と予測している事故率は総体的なものです。個別に見れば、安全技術の進歩や交通安全の活動によってある種の事故は確実に減ると考えているので、この考え方は安全への取り組みそのものを否定しているものではありません。一方で、安全になったために生じる、新たな危険による事故が増えるとしています。だから結果として、総体としての「事故率は変わらない」としているのです。

Amazon.co.jp: 交通事故はなぜなくならないか―リスク行動の心理学: ジェラルド・J.S. ワイルド, Gerald J.S. Wilde, 芳賀 繁: 本

交通事故はなぜなくならないか:安心する危険 [科学に佇む心と身体] 当該書『交通事故はなぜなくならないか リスク行動の心理学』の後半は、事故を減らすためのごほうび、インセンティブ・プログラムの効果と可能性についてかなりの紙数を費やしてあるので、気になる方はご参照を。
 リスクと言えば。
 危険感と実際の危険度(事故発生件数)は、合致しない。そもそも食い違っていることが多いもの。
 文化的・社会的に受け皿ができているリスク/事故は、わりと忌避感・危険感が少ない。(例えば交通事故、風呂場での死亡、水難)
 逆に、文化的・社会的に「異様で受け入れがたい」と見做(みな)されているリスク/事故は、危険度とは別の機序から過剰に忌避されることがある。(例えば原発、殺人、遺伝子組み換え、死体処理)
 そこから、リスクを減らすことより危険感を減らすことを優先する国と、危険感を減らそうとせずにリスクを減らすことを優先する国、そんな対比も描けたりする。
 リスクと死亡率の心理学→ 『 アメリカとスウェーデンのリスク管理はどう違う 』

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