27日の日曜日は、前日に行かなかった家具店と絹店を見に行くことにし、パンダを昼に、京劇を夜にすることにしました。
天壇公園です。とても広いのですが、朝から大勢の元気な中国人の老若男女で一杯です。
こちらは羽の付いたボールを足で蹴る、蹴鞠みたいなものでしょうか。
これは普通の金属の手すりなのですが、土の気をもらう、とかで、みなさんが手すりに足などを通して手すりでこすっています。
結構なお年の方が元気にぶら下がって運動しています。コマーシャルで鉄棒の大車輪をやるお年寄りを日本で見ますが、それを思い起こさせます。
こちらはミュージックをかけながら大勢でダンスです。陳さんは、これは女性をさわりたいだけよ、とにべもないです。
このボール遊び、ダンスみたいなのです。興味深くなったので、売店でラケット二本とボール二個のセット50元なりを買いました。帰ってから調べると、太極拳の動きを基本にしたものらしく、比較的新しいスポーツで、太極柔力球というんだそうです。日本でも大阪を中心にやっているらしいです。
楽器で遊ぶ方々。
歌を楽しむ方々。
集団での劇みたいなものです。数十人がハーモニカで合奏し、それに合わせて男女が踊ります。もしかして、京劇の一場面なのか。それを更に大勢が取り囲んではやし立てます。ハーモニカは小さな拡声器を腰にそれぞれ付けて、音を大きくしており、本格的です。本当に良い雰囲気で、いいなあ、と感心しました。
天壇です。きれいになっています。最近化粧直ししたみたいです。
これで天壇を後にしました。
それから日本料理店に行って、松茸料理を食べたのです。安いからとのおすすめだったのですが、かおりは無かったですね。
北京動物園のパンダです。天気は良くなったのですが、とっても暑い。
子供が笹を横の林から取ってきてパンダに与えると、それを食べます。大人がそれをやると係員が止めるんだそうですが、子供は大目に見るんだそうです。
これは二匹目のパンダ
これは三匹目のパンダ、ちょっと風呂に入ったら、と思いますが。
人間との距離感がこのようになっています。
仰向けに寝ころんでしまいました。
子供も暑いでしょう。
これで北京動物園を後にしました。他の動物も一杯いて、一日で見切れない程広いそうなのですが、暑さでそれどころではない。
地元の人が行くマーケットです。ここで陳さんがプレゼントにすると言って200元のムートンを買ってくれました。結構良いものですが、それをお風呂の湯船に敷くと良いそうなのです。濡れたのは乾かしてまた使うそうです。あと、20元で売っていたシルクの寝間着上下を買いました。
夜に京劇に行きました。ホテルの中なんですね。梨園劇場という名前で、これは歌舞伎の梨園の元なのかな。
ボックス席は真ん中に作られており、お菓子とかテーブルに置いてくれています。茶碗も置いてあり、それに注いでくれる係りの人がアクロバットみたいな芸をしながら注ぎます。背中を回して、お湯を注いでいるのです。うまく注げれば拍手です。多少、水滴があちこち飛んでもいましたが。
開演する前に、役者の化粧を廊下でやって見せてくれます。
虞美人と項羽の場面です。この後で、彼女が自害してしまうのです。
女泥棒らしいです。
ちょっと照明を暗くして、口から火花を飛ばしています。
この槍の場面は圧巻でした。みんなが槍を飛ばせて交換する中央で、飛んできた槍を足でけっ飛ばして交換するんです。
結構夜遅くなってしまいました。ホテルでの夕食を頼む時間に遅れてしまい、メニューが少なくなってしまいました。
さて、参考までに虞美人についてです。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
虞美人(ぐ・びじん ? ?紀元前202年?)は、虞姫(ぐき)ともいい、秦末から楚漢戦争期の人。項羽の愛人。虞は姓である(漢書)とも名(史記)であるともいわれ、美人も後宮での役職名であるともその容姿を表現したものであるともいわれる。小説やテレビドラマでは、項羽の妻として描かれ、虞は姓であることから虞姫と紹介されているものが多い。
項羽との馴れ初めについては、史記にも漢書にも一切記載されておらず、ただ垓下の戦いで、劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には、いつも虞美人がおり項羽は片時も彼女を放すことがなかったと、初めて紹介されている。
劉邦軍により垓下に追い詰められ、四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟った(思い込んだ)項羽は彼女に、
「力は山を抜き、気は世を覆う。時利あらずして騅逝かず。騅逝かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん。」(垓下の歌)
と歌い、この直後に垓下から脱出する。
小説では、項羽の足手まといにならぬために、虞美人は自殺しているが、『史記』および『漢書』では、その後の虞美人について、一切記述されていない。
また、虞美人の自殺云々についても、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からそのような話が出てくるようになったといわれる。
しかしながら、自殺した虞美人の伝説は、ヒナゲシに虞美人草という異名がつく由来となった。