[過去最大の122兆4454億円 26年度予算概算要求(時事通信) – Yahoo!ニュース](https://news.yahoo.co.jp/articles/7f1b20fb2040e1ba0ea4f23bd5013fbd5e7b8873)
国債の利払い費や社会保障費が増加し、初めて120兆円を超えた。重要政策では要求時点で金額を示さない「事項要求」も多く、年末に向けた予算編成では厳格な査定が求められる。
[ドクター江部の糖尿病徒然日記 2025年9月28日(日)。宇治市で糖質制限食の講演会を行います。](https://koujiebe.blog.fc2.com/blog-entry-6895.html)
[ReturnキーやEnterキーの誕生経緯 – GIGAZINE](https://gigazine.net/news/20250903-return-enter-key/)
初期のタイプライターには改行を担うキーが搭載されておらず、代わりにキャリッジリターンレバーが搭載されていました。キャリッジリターンレバーを動かすと紙が1行分送り出され、入力位置が左端に戻ります。
その後、回線を介して文字入力を実行するテレタイプ端末が普及すると事情が変化します。これまでのタイプライターでは文字を入力する部分(キャリッジ)の動きを目で追えるため、改行キーを押した後にキャリッジが左端に戻るのを待ってから入力を開始できました。しかし、テレタイプ端末では「文字情報を一定間隔で受信する」「キャリッジが目の前に存在しない」といった条件が重なることで「キャリッジが戻りきる前に次の文字を入力してしまう」という事態が発生するようになってしまいました。
この問題を避けてキャリッジの移動時間を確保するために、テレタイプ端末では「キャリッジを左端に移動させる」という機能を持つ「キャリッジリターン」と、「1行下に移動する」という機能を持つ「ラインフィード」という2つのキーが設けられることとなりました。キャリッジリターン(Carriage Return)とラインフィード(Line Feed)を組み合わせた処理の名残は、現代でも「CR/LF」という改行コードに残っています。
1970年代に開発されたワープロには、改行とは別の「送信」という操作を担うキーとして「Enter」が搭載されるようになりました。当時のEnterとReturnは明確に異なる機能を持っていたため、キーボード内の近い位置にEnterとReturnが並ぶこともありました。
その後、コンピューターの普及やソフトウェアの多様化に伴って、キーボードの規格化が進み、EnterとReturnの機能は1つのキーにまとめられることとなりました。この際、Appleは「Return」という名前を選択し、MicrosoftやIBMは「Enter」という名前を採用しました。
[2023年の海洋熱波、観測史上最大との分析 環境の回復不能近づく? | 毎日新聞](https://mainichi.jp/articles/20250903/k00/00m/040/111000c)
海面水温が異常に高くなる「海洋熱波」が、2023年はその強度、広がり、継続期間において観測史上最大だったとする分析結果を中国などの研究チームがまとめた。23年は日本を含む世界各地で記録的な暑さとなり、山火事や洪水などが頻発。海洋熱波が一因と指摘される。チームは「記録的な海洋熱波は、自然環境が回復不能に陥るティッピングポイント(臨界点)に近づいている可能性を示している」と警鐘を鳴らしている。
[「自主学習は適当なネット記事のコピペで」 “タブレット教育”が学校現場で引き起こしている驚くべき弊害(全文) | デイリー新潮](https://www.dailyshincho.jp/article/2025/09030601/?all=1)
小学生が“ネット検索だけ”でレポートを書く時代
「個別最適な学び」の落とし穴
「街の探検」もタブレットで撮影するだけ……
AI時代に「計算力」は身につける必要がないのか
「今日の心の天気」で「雷」は絶対に選ばない理由
[キリスト教における最大の謎「三位一体」はなぜ理解不能なのか? 哲学者・土橋茂樹に聞く「言葉の宗教」の複雑な歴史|Real Sound|リアルサウンド ブック](https://realsound.jp/book/2025/09/post-2136614.html)
父なる神、子なるイエス、聖霊の三者は本質的に同一だとするキリスト教の「三位一体」説は、その言葉自体はよく知られており、比喩などで使われることもままあるが、キリスト教の初学者にとっては理解に苦しむ部分であり、「三位一体の改革」などの比喩で使われる解釈はまったくの誤りであるという。また、たとえばある男性が会社員であり、夫であり、野球のコーチでもあるといったように、同一の人物にさまざまな顔があるのと同じであるといった解釈もまた「異端」とされてきた。
キリスト教は、成立の初めから「言葉の宗教」だった
ユダヤ教では神の言葉を人に伝える媒介者として預言者が存在しました。しかしキリスト教では、媒介者を介さずに神の言葉そのものが人格化し、イエス・キリストとして現れました。新約聖書はその出来事を集大成したものです。つまりキリスト教は、成立の初めから「言葉の宗教」だったのです。
「三位一体」は最も非論理的な考え方
土橋:ええ。「二正面作戦」が取られたのはおおよそ2世紀頃のことです。ユダヤ教や多神教の勢力に押し潰されないために、キリスト教は自己防御の姿勢を取らざるを得ませんでした。そこで相手によって論法を使い分けたのです。ユダヤ教徒には「イエスもまた神である」と説き、多神教徒には「父なる神とイエスは二つの神ではなく一つである」と主張する。つまり一方では二つの神を認め、もう一方では唯一神を強調する。結果として「二つであり一つ」という矛盾を抱え込むことになったのです。
土橋:例えば「サベリオス派」は、一なる神が場面によって三つの顔を使い分けているのだと説明しました。これは一人の男が会社では頼れる課長、家では優しい夫、しかし地域では子供野球の鬼コーチでもあると言うのと似ていて、とてもわかりやすいありがちな説明の仕方です。ところが教父たちはこうした一見合理的な説を異端として退けました。残ったのは「神は三つでありながら一つ」という、最も非論理的な考え方。それをあえて「正統」として選び取ったのです。
宗教史の背後にあった「翻訳」という営み
土橋:そうですね。ヘブライ語で書かれた旧約聖書の「出エジプト記」の中に、神が自らを名乗る場面があります。神の名というのは、神学的には非常に重要な問題なのですが、そこで神は「私はありてあるものだ」と言うわけです。つまり、「私は存在するものである」と。ヘブライ語の「在る」は「成る」と同じ動詞で、流動的な意味を持ちます。ところがギリシア語では「在る」と「成る」は別の語で、しかも「在る」には「在るもの」というように、必ず「もの」のイメージが伴います。結果として、ヘブライ人の中では融通無碍なイメージだった神が、ギリシア人の中では固定化された神という「もの」として理解されるようになった。翻訳の違いが神の観念そのものを変えてしまったのです。
さらに言語の違いは東西教会の分裂にもつながりました。東西では教皇を立てる/立てないとか、聖職者の結婚の問題とか、いろいろなことが違っていたわけですが、そういう細部の違いだけではなく、重要な宗教規約がラテン語に訳される過程でニュアンスが変化したことが、1054年の分裂に至る遠因となったと考えられます。グローバルな宗教史の背後には常に翻訳という巨大な文化史的営みの影があったわけです。