「は」

(1044)三上章の、所謂「無題化」って何? – 日本語の「は」と「が」について。

https://www.9640.jp/MATERIALS/20190216slide.pdf
『は』と『が』の一歩進んだ教え方
一橋大学国際教育交流センター教授 庵 功雄

主語廃止論(しゅごはいしろん)★ | 株式会社篠研三上章(みかみあきら)が提唱。「ハ」は文末まで働くが(この機能を主題と言う。)「ガ」は用言の語幹までしか働かない(この機能を主格と言う。)という、機能上大きな違いがあるのであって、両者を「主語」を表わす助詞として一括するのは、西洋文法を無批判に取り入れた結果であると痛烈に批判​した。​
三上章の主語廃止論は、これまで「主語」という括りで「ハ」と「ガ」を同一視していたものを、「主題」(文全体のレベル)と「主格」(命題レベル)という2つの異なる次元のものであるということを明確にした点で、日本語の文法(統語論)に大きく貢献したといえます。

主語廃止論とは何? わかりやすく解説 Weblio辞書出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:59 UTC 版)
「日本語」の記事における「主語廃止論」の解説
日本語・英語の構文の違い三上説によれば、日本語の文は、「紹介シ」の部分に「ガ」「ニ」「ヲ」が同等に係る。英語式の文は、「甲(ガ)」という主語だけが述語「紹介シタ」と対立する。 上述の「象は鼻が長い。」のように、「主語‐述語」の代わりに「題目‐述部」と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ。三上章は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語をやめる提案)を唱えた。三上によれば、 甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ。 という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。いっぽう、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である。 この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、 ハマチの成長したものをブリという。 ここでニュースをお伝えします。 日一日と暖かくなってきました。 などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文と見なして差し支えない。 今日の文法学説では、主語という用語・概念は、作業仮説として有用な面もあるため、なお一般に用いられている。一般的には格助詞「ガ」を伴う文法項を主語と見なす。ただし、三上の説に対する形で日本語の文に主語が必須であると主張する学説は、生成文法や鈴木重幸らの言語学研究会グループなど、主語に統語上の重要な役割を認める学派を除いて、少数派である。森重敏は、日本語の文においても主述関係が骨子であるとの立場を採るが、この場合の主語・述語も、一般に言われるものとはかなり様相を異にしている。現在一般的に行われている学校教育における文法(学校文法)では、主語・述語を基本とした伝統的な文法用語を用いるのが普通だが、教科書によっては主語を特別扱いしないものもある。
※この「主語廃止論」の解説は、「日本語」の解説の一部です。