「北京紀行」カテゴリーアーカイブ

井川遥の紫禁城紹介

BS朝日の「ANAスペシャル 
日中共同制作
中国の至宝・大紫禁城のすべて 500年の謎とロマンと今
9/30(土)20:00?21:55
女優・井川遥が紫禁城の謎に迫る!テレビ初公開の貴重な映像が満載!!」
を今見ました。
私たちが遭遇した、鼓楼を紹介する場面は出ていましたが、後ろ姿を取った瞬間のカットはカットされていたようで、別の場面だけ少しだけでした。残念。私たちが見た時にはスタッフも少なくて、カメラマン一人しか見えなかったし、リハーサルの所だったのかもしれません。今のカメラなどが性能向上していて、たった一人でも大丈夫なのかもしれないですが、普通ならもっと大きなカメラと音声担当、ライト担当二人、とかで取り囲んで写すような気がしています。昔そんな取材場面を見たことがあるもので。

いずれにしても、あらためてじっくり紫禁城関係と京劇関係などを見られて良かったと思います。

両替

今回は幾つかの方法で両替しました。それぞれの為替のレートを詳細に記録してくれば良かったのですが、そこまではしてません。
一つは、国内での成田空港出国の荷物預け出口近くの地方銀行窓口ですが、多分、これが一番レートが悪かったかなという印象です。まあ、ごく少額だけ両替しました。係りの人に聞いてもレートをなかなか教えてくれないところが、うさんんくさかったな。日本なのに。
次が、ホテル内での両替窓口です。これも結構レートが悪い印象です。でも夜遅くまででもOKなのは助かりました。
それと、海外でも使えるキャッシュカードでの元の引き出しです。多分レートだけでは悪くないですが、一回100円だったか手数料がかかります。中国銀行のATMは一杯在ったので、場所が分かれば便利かな。ところが、これも事前の調べでないと、現地に入ってから地図を見るのは結構大変なのです。地図での表記が簡体字の関係で、読み方が分からないので、英語表記での検索が出来ず、地図だけでは極めて困難なのです。ガイドさんに聞くしかない。今回はたまたま絹の店の一階が中国銀行で、建物の端っこにATMがあるのです。それも道路から結構離れるのではありますが、安全のためなのか外から丸見えの場所なのです。使い方に戸惑っていると、ガイドさんが係りの人を連れてきてくれ、何とかなりました。もし使うなら、空港のATMを事前に調べておくと良いのかもしれません。空港では英語の説明もあるかもね。簡体字の説明は、何もないのと一緒です。
最後がクレジットカードです。これの額とレートが今日分かりました。一番レートが良さそうなのです。一元がほぼ15円みたいです。現金を必要とする場所に行く予定がなければこれだけでほとんど済みますし、一番便利ですね。でもね、現金しか使えない市場などもなかなか良かったので、一長一短ですね。

中国五千年

竹内実さんの本を読んだり、インターネットで調べたりした結果、中国が四千年なのか五千年なのかは、結局は、ちょっとはっきりしなくても入れるか、はっきりするところだけを入れるかの違いみたいですね。
確実な何かがあるというのなら、北京原人などは数十万年前まで行ってしまいます。歴史の五千年のはずなので、何かではなくて、歴史として続く何か、になるんでしょう。神代の昔のことなら、これまた色々ある訳で、それが神話ではなくて事実だったんだ、という立場が五千年には込められているようです。
私はどちらでもいいのです。陳さんが五千ですよ、と言い、私が何で五千なんですか、と聞いた時に、はっきりしなかったのが気になっていただけなのです。でも現地の人が五千だと言うのですから、五千でいくのが正解なのでしょう。五千年前に何がありましたか、と聞かれても私は答え切れませんが、それはあちらに聞いて、ということにします。(四千年前でも、答えられないのは同じですが。あと、念のため、白髪三千丈が生理的事実かを問うのは無理で、文学的事実かを問うべきなのは、これが別次元の話だからです。四千と五千は同じ次元での話ですからね。)
この間まで四千年と言っていたのが五千年となって、元気が出てくるのなら、それで良いではないか、と思います。
地球は回っている? はいそうですよ。 地球は丸い? そうですね。 世界は平ら(the world is flat)? そうなんです。中国は五千年? はいはい、そうです。

北京原人は約20万年前まで

北京原人は約40万年前から約20万年前までとされるそうです。そして、私たちに続く系統みたいですね。つまり、アジア人というか、モンゴロイドの先祖ですね。それが発掘された骨が今は行方不明だそうです。どっかで、きっと薬として使われて、誰かの寿命を延ばしたりしたのかな。でも中国は広いですから、まだまだ発掘して、新しい発見が出てくるのではないかと期待します。それと、行方不明の骨をタネにした映画とかが一杯作れるし。ダビンチの暗号の向こうを張って、北京原人の秘密、とか、ね。これの方がカンフーとかワイアーアクションを使っての派手派手な映画を作れそうですよ。少林寺拳法と方術と太極拳とが入り乱れるところに、悪役で日本の忍者が出て、楊貴妃と虞美人とが蘇ってきたのが毛沢東夫人江青だったとか西太后だったとかね。いや、ちょっと悪のりしすぎて済みません。

まあそれはそれとして、中国4千年か、中国5千年か、という、陳さんが出してくれた難問ですけど、こんな話しが竹内実「北京」で紹介されています。
 革命運動を指導した孫中山(名は文。中山は号)が、新しい共和国、中華民国の臨時大統領に就任した。就任したとき、孫中山は、黄帝紀元4609年11月13日を中華民国元年元旦とする、と全国に通知した。こうして、西暦1912年1月1日が民国元年1月1日となった。いまでも台湾では、民国が年号として使われている。
ということのようで、黄帝から数えると4700年ぐらいとなるんでしょうか。それなら普通は4000年だろうと思うのですが、切り上げて5千年なんでしょうか。

おまけ:北京を一言で言うと、人が一杯です。中華と簡体字も。

東京と比べて、広々としています。だいぶん面積もあるのだろうと思います。それでも、随分と人が多いと思いました。多そうな場所ばかり行ったのかもしれませんが。大体、人が存分に使われる傾向ではないかと思いました。
例えば、道路工事です。日本では、高度成長が終わって、人件費が高くなるとともに、重機を使うように変わったと思っていますが、道ばたで見かけるほとんどの道路工事で重機を見ません。人が作業しています。だから、さほどうるさくないのです。日本だとコンプレッサーとか重機の動く音で、とてもたまらないと思いますが、こちらは静かなものです。これは人件費の関係なのでしょう。
あと、高層住宅が多い。地震が少ないのでしょうか? でも30年前に大地震ですごい犠牲者も出たはずですね。建築基準はどうなっているのか心配です。これは前にマンハッタンの高層街でも心配したことです。つまり、結構古い建物で、高層のものがあって、大丈夫なのか気になります。
それから、オリンピックの影響もあるのかもしれませんが、どこもかしこも、工事中ばかりです。大規模開発の所ではさすがに大きなクレーンが一杯で工事しています。それが一杯あります。それに加えて、町中の道路工事が一杯。それの仕上げで、天安門など文化財の工事中です。これも高度成長を思わせるものになっています。社会資本の整備が急ピッチで進んでいる印象なのですが、どこまで各層に浸透しているのか、気になります。
また、いくつかの店に入って、外国人向けの観光の店とか、デパート、コンビニ、電気屋、とにかく、お客と店員が同じぐらいの数のように見えました。潤沢に人が居るんです。

このような状況は、これからどうなるか分かりませんが、いずれは人件費が高くなり、人の不足もあるのではなかろうか。一人っ子政策も随分進んでいるみたいですし、日本の高齢化とは較べものにならない程のスピードで高齢化社会に達するのかもしれませんが、そのような計算を当然しているのでしょうが、対応は間に合うのか、気になりますね。
まあ、いずれにしても、中国はこれからも世界の中で一目置くことになるでしょう。混乱なく進むといいのですが。もちろん、何か不安材料があるとかいうことではありません。

もう一つ、中華についてです。
いわゆる中華思想です。これはどうも、自然なものだと思いました。象を触ってばかりいると、ネズミの存在が見えにくくなるようなものかな? ですから、尊大とかいう雰囲気ではなくて、これが自然に在るのです。だから始末が悪い面もあるかもしれません。
前に、アメリカ人のことで、同様のことを感じたことがありまして、アメリカ流に考えれば、当然アメリカの基準が世界の基準なのであって、それが通用していない事実があるとすれば、それは背後に不正があった証明である、となるのです。アメリカ=世界という見方です。率直に言って、赤ちゃんの世界観みたいなものでしょう。成長すれば無くなるのならいいのですが、必ずしも、そうはいかない。アメリカ=世界の一部となることがアメリカ人にとって出来るかどうか、これは今後の課題でしょう。中国も同じなのです、多分。

おまけのおまけ。簡体字のことです。つまり、最近の中国で使っている簡略化された文字です。よく分かりませんが、これはもう、戻りようがないのかもしれません。文化というものは、継ぐべき部分と継がなくてもいい部分とがあるのでしょうが、文字のような文化の基本的部分を継がないという発想は、ものすごく乱暴だと私は思いますし、何かが欠けているような気がします。それはさておき、もうやっちゃった。もう半世紀近くきてしまった。これで大勢が育っている。つまり、これで行くんでしょう。もったいないことをしたものです。ローマ字にした方がいい、という議論は無かったのかな。日本では、いまだに日本語をローマ字にすべし、と主張する学者がいるらしいです。新しい文字を作るより、いっそ、表音記号だけにする、という方がすっきりしているように私は門外漢として思います。昔の漢字は繁体字というみたいですが、同じ事の名前に、繁体字、簡体字、英語表記(かな、ローマ字みたいなもの)と、それぞれの地方別の発音と分かれることになる。大変でしょうが、それで行くしかないのでしょう。
ああ、そうそう、日本で、観光案内とか地名表示とかで、漢字、ハングル、英語を併記するのが普及し始めていますが、北京でもハングルと英語の併記を幾つも見ました。漢字は簡体字だけなのかもしれないので、日本人は困るでしょう。

おまけ:バリアフリー

北京でのバリアフリーの感想です。
現地に行かないとなかなか分かりませんでした。率直に言って、まだまだ。そうですね、中国の高度成長とかを、日本の高度成長時代になぞらえる向きがあると思いますが、バリアフリーについても日本の高度成長時代を思わせる状況と言っても良いかもしれません。
日本で高度成長時代に作られたようなリゾートマンションだろうと思われる場所に今年春に先島紀行で行ったのですが、その感じと、今度の北京紀行の感じと良く似ています。
つまり、きれいに作ってはあるのですが、坂が多い、階段がある、などなど、バリアフリーの発想以前の作り方なのです。日本でも、ついこの前まではどこもそうだった。
元々が無理と思って車いすで長城に挑戦はしませんでしたので、一番大変だったのが故宮でしたね。なにせ、移動距離は半端ではなかった。石畳もかなりの凹凸ですし、敷居が高い、階段も一杯あります。歴史的遺物ですから当然なことではありますが、なかなか改造するのは出来ないでしょうけど、日本なら結構、スロープを付けていたりしますよね。それらが昔のままみたいです。今の故宮なら、人間が運ぶ「こし」が必要でしょう。

そうそう、北京空港はきちんとバリアフリーでしたが、エレベータが分かり安い場所表示にはなってなかったかもしれません。

でも、北京オリンピックを目指して、バリアフリーもきっと急ピッチで改善することでしょう。パラリンピックも直後にやるはずですからね。

まあそれも含めて、バリアフリーの究極は、車いすの代わりの、ロボットかもしれませんので、それに期待するのが早いかもしれません。

8月28日帰着

8月28日朝は皆お腹を壊してダウンで、お休みでした。水のせいか、昨日の日本料理店での昼食の刺身のせいか、原因は不明です。私だけは何ともないのが不思議でした。
そこで、ホテルの近所を少し一人で歩きました。ちょっと行くと日本大使館があります。そこを過ぎるとタイ大使館で、何かの行事の準備をしているようでした。そこで、二台の自動車が止まって中国語での派手な口論の真っ最中。交通事故だったのかもしれません。
陳さんも言ってましたが、ロシア大使館は目抜き通りに面した広大な敷地ですが、日本大使館は中心地から外れているし小さい、と(ただし、外れと言っても距離は近くて、地下鉄でも便利ですし、最近は開発されてきて、結構良いようなのですけど)。実際に見てみると、タイ大使館よりかなり小さい感じですね。日本にあるイタリア大使館位でしょうか。日本にあるオーストラリア大使館より小さいかも。北京のロシア大使館は日本のアメリカ大使館とか英国大使館より大きいかも。ただし、大きさは北京全体が大きいですから、面積だけでの比較は出来ないです。ここらの警戒は武装警察とやらがしていて、近寄りがたいのです。陳さんによれば、中国には三つの警察があって、一つはガードマンみたいなので、もう一つは武装警察ですが、これは短期の徴兵された人が軍隊的にやる仕事で、実際に軍隊みたいなのです。三つ目は公安で、これは日本の警察と同じで、定年まで勤めるんだそうです。(ところで、天安門と故宮を見た時に公安の本部の横を通ったのでしたが、その時に地方の警察からの陳情みたいな行事が行われていて、地方から来た警察車両が一杯止まっていて、玄関で本部の人と地方の人が大声で押し問答している光景がありました。両方警察なんですけど。)

この前日夜にホテル近くのセブンイレブンに夫婦で寄ってみたのですが、途中の道路で4才ぐらいの男の子が乞食でおねだりしてくるのです。なかなかしつこかったのです。今朝は、ホテルの前の大きな道路で地下の横断通路があるのですが、そこでその子が母親と一緒に寝ていました。他にも何人かの物乞いも通路に居ました。雨宿りに都合が良いのかもしれません。(夏だからいいですが、冬なら大変でしょう。ところで、その前日に一人でセブンイレブンに買い物に行ったのですが、途中でストリートガールが一杯声をかけてくるのが煩わしかったのです。それで頼んで、夫婦で出ることにしたのでした。ホテルの直ぐ横の道をそのようなガールが居るのです。取り締まりはどうなっているのか。ところが夫婦で歩くと、今度は子供がつきまとう、という次第でした。)

昼前に時間の余裕を見てホテルを出発。チェックアウトすると、結構ホテルから日本への国際電話代が高かったですね。事前に調べて、結構携帯を借りても電話代がかかると見たもので、借りなかったのです。でも、それよりもホテルの電話代の方が高かったですから、これは携帯を一人一台ぐらい借りるのが便利でコストが変わらないかも。あと、ホテルでのインターネットですが、準備しておいた無線LANは無事使え、Wzero3と問題なく接続され、メールも大丈夫だったです。でも、実際上は色々記事を書き込む時間的余裕が無かったですね。インターネットの速度は遅いほうです。ダイアルアップ並みかな。部屋までイーサネットが出ているのですけどね。それと商用電源ですが、用意した変圧器で無事対応できましたし、コンセントの形状は工夫されていて、日本で使っているACアダプタの一つが220V対応だったので、問題がコンセント形状だと思っていたところ、さすがニューオータニ、日本のプラグも刺さるように工夫できていました。インターネットとか、カメラ充電などもこれで無事出来ていたのです。

北京空港では空港の中国人係員(日本語はもちろん英語も十分には解さないようなので心配しましたが、何とか手振りでOKでした)が車いすをずっと押してくれ、荷物を預けるまではJTBとANAのそれぞれの日本人係員が手伝ってくれました。帰りの荷物預けが難関で、行きでは酸素ボンベ2つを、一つは機内持ち込みで、一つは預ける荷物に入れてでOKだったのです。北京では預ける荷物の中国人係官が頑と受け付けません、そこで、急遽機内持ち込みを二本としました。なんだか腑に落ちない措置ではありますが、中国人係官の縄張りを守れば良かったとかの事情かもしれません。

あとは、税関を過ぎて、待ち合わせ時間がほっとした時間でした。少し元が余ったので、使えるところを探したりし、おみやげも追加しました。テレサテンのCDセットが目に付きましたが結構手荷物が増えたので見送りました。荷物は、陳さんがプレゼントしてくれたムートンと、絹の綿の布団が大物で、トランクに二人が乗ってやっと閉まる状態でした。大型過ぎるトランクだと思っていたのが役立ちました。

帰りの飛行機は快適でした。見逃したMI3をもう一度見ました。そして、無事着陸。

成田空港では、またANAの中年男性の担当者に車いすを押して頂きました。直ぐに電話機にスイッチを入れ、帰りのジャンボタクシーとも連絡が付き、円滑に乗車、というところだったのですが、子供は、まだトイレに飛び込んでとかは、ありました。今度のタクシーの運転手さんは静かな人で、みんなよく寝ていました。

まあ、無事帰宅。翌日もお休みをもらっていて良かったです。

かくして、長年の念願であった、万里の長城行きを、成功裏に終了したのであります。
ということで、とりあえずの北京紀行はこれで置きます。

天壇公園のにぎわい、パンダ、京劇

27日の日曜日は、前日に行かなかった家具店と絹店を見に行くことにし、パンダを昼に、京劇を夜にすることにしました。

途中で見たケンタッキーフライドチキンです。c03kfc.jpg

天壇公園です。とても広いのですが、朝から大勢の元気な中国人の老若男女で一杯です。c03tendan1.jpg
こちらは羽の付いたボールを足で蹴る、蹴鞠みたいなものでしょうか。c03tendan2.jpg
これは普通の金属の手すりなのですが、土の気をもらう、とかで、みなさんが手すりに足などを通して手すりでこすっています。c03tendan3.jpg
結構なお年の方が元気にぶら下がって運動しています。コマーシャルで鉄棒の大車輪をやるお年寄りを日本で見ますが、それを思い起こさせます。c03tendan4.jpg
こちらはミュージックをかけながら大勢でダンスです。陳さんは、これは女性をさわりたいだけよ、とにべもないです。c03tendan5.jpg
このボール遊び、ダンスみたいなのです。興味深くなったので、売店でラケット二本とボール二個のセット50元なりを買いました。帰ってから調べると、太極拳の動きを基本にしたものらしく、比較的新しいスポーツで、太極柔力球というんだそうです。日本でも大阪を中心にやっているらしいです。c03tendan6.jpg
楽器で遊ぶ方々。c03tendan7.jpg
歌を楽しむ方々。c03tendan8.jpg
集団での劇みたいなものです。数十人がハーモニカで合奏し、それに合わせて男女が踊ります。もしかして、京劇の一場面なのか。それを更に大勢が取り囲んではやし立てます。ハーモニカは小さな拡声器を腰にそれぞれ付けて、音を大きくしており、本格的です。本当に良い雰囲気で、いいなあ、と感心しました。c03tendan9.jpg
天壇です。きれいになっています。最近化粧直ししたみたいです。c03tendan10.jpg
これで天壇を後にしました。

それから日本料理店に行って、松茸料理を食べたのです。安いからとのおすすめだったのですが、かおりは無かったですね。

イトーヨーカドーですね。c03yokado.jpg

北京動物園のパンダです。天気は良くなったのですが、とっても暑い。c03panda1.jpg
子供が笹を横の林から取ってきてパンダに与えると、それを食べます。大人がそれをやると係員が止めるんだそうですが、子供は大目に見るんだそうです。c03panda2.jpg
これは二匹目のパンダc03panda3.jpg
これは三匹目のパンダ、ちょっと風呂に入ったら、と思いますが。c03panda4.jpg
人間との距離感がこのようになっています。c03panda6.jpg
仰向けに寝ころんでしまいました。c03panda7.jpg
子供も暑いでしょう。c03panda8.jpg
これで北京動物園を後にしました。他の動物も一杯いて、一日で見切れない程広いそうなのですが、暑さでそれどころではない。

北京駅です。c03pekineki.jpg

地元の人が行くマーケットです。ここで陳さんがプレゼントにすると言って200元のムートンを買ってくれました。結構良いものですが、それをお風呂の湯船に敷くと良いそうなのです。濡れたのは乾かしてまた使うそうです。あと、20元で売っていたシルクの寝間着上下を買いました。c03market.jpg

夜に京劇に行きました。ホテルの中なんですね。梨園劇場という名前で、これは歌舞伎の梨園の元なのかな。c03kyougeki1.jpg
ボックス席は真ん中に作られており、お菓子とかテーブルに置いてくれています。茶碗も置いてあり、それに注いでくれる係りの人がアクロバットみたいな芸をしながら注ぎます。背中を回して、お湯を注いでいるのです。うまく注げれば拍手です。多少、水滴があちこち飛んでもいましたが。c03kyougeki0.jpg
開演する前に、役者の化粧を廊下でやって見せてくれます。c03kyougeki2.jpgc03kyougeki3.jpg
虞美人と項羽の場面です。この後で、彼女が自害してしまうのです。c03kyugeki4.jpg
女泥棒らしいです。c03kyougeki5.jpg
ちょっと照明を暗くして、口から火花を飛ばしています。c03kyougeki6.jpg
この槍の場面は圧巻でした。みんなが槍を飛ばせて交換する中央で、飛んできた槍を足でけっ飛ばして交換するんです。c03kyougeki7.jpg
結構夜遅くなってしまいました。ホテルでの夕食を頼む時間に遅れてしまい、メニューが少なくなってしまいました。

さて、参考までに虞美人についてです。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

虞美人(ぐ・びじん ? ?紀元前202年?)は、虞姫(ぐき)ともいい、秦末から楚漢戦争期の人。項羽の愛人。虞は姓である(漢書)とも名(史記)であるともいわれ、美人も後宮での役職名であるともその容姿を表現したものであるともいわれる。小説やテレビドラマでは、項羽の妻として描かれ、虞は姓であることから虞姫と紹介されているものが多い。

項羽との馴れ初めについては、史記にも漢書にも一切記載されておらず、ただ垓下の戦いで、劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には、いつも虞美人がおり項羽は片時も彼女を放すことがなかったと、初めて紹介されている。

劉邦軍により垓下に追い詰められ、四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟った(思い込んだ)項羽は彼女に、

「力は山を抜き、気は世を覆う。時利あらずして騅逝かず。騅逝かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん。」(垓下の歌)

と歌い、この直後に垓下から脱出する。

小説では、項羽の足手まといにならぬために、虞美人は自殺しているが、『史記』および『漢書』では、その後の虞美人について、一切記述されていない。

また、虞美人の自殺云々についても、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からそのような話が出てくるようになったといわれる。

しかしながら、自殺した虞美人の伝説は、ヒナゲシに虞美人草という異名がつく由来となった。

雨の北京、朝、天安門、故宮、フートン

雨が降ってきました。故宮のほとんど内側みたいな公園の中にある北京ダックのお店に行きましたが、そこから故宮側を見上げたところに、ライトアップしたところが見えました。c01night1.jpg
この店では大きなテーブルにはガラスで回転するところが付いていましたが、四人掛けのところでは付いて無くて狭かったです。北京ダックは肉が結構付いていて、いけました。紹興酒を飲んでいたら、陳さんが、自分はいつもこれ、と50度超の強い白酒を注いでくれました。c01night2.jpg

ライトアップした雨の天安門c01night3.jpg
トロリーバスですが、二両が連結。ボディに広告を出しています。c01night4.JPG

三日目の朝。天気は曇り。ホテルの中庭で太極拳をしています。c02morning1.JPG
天安門広場近くの道路を横断して広場に行きますが、ここは信号が見えなかったな。で、構わず進むのです。陳さんが、「走っては駄目。危ないよ。ゆっくり、ゆっくり」との言葉通りに行こうとしても、車はどんどん来るし、足がすくんで動きません。周りの歩行者の群と一緒にやっと進みます、大勢で渡れば怖くないです(? いや、怖いか)。c02morning2.JPG
天安門です。毛沢東さんの下を入っていきます。(9月9日追記。あちこちに中国の国旗と、もう一つの国旗を並べて飾っていましたが、どこの国旗か分からなかったのでした。国旗から調べてみると、南米のベネズエラのようです。ベネズエラの在日大使館のページによれば、チャベス大統領が訪中したとありました。)c02tenanmon1.JPG
天安門の次の門です。c02kokyuu1.JPG
その次の門です。この中央の入り口は皇帝専用だそうで、それ以外では、科挙を主席で通った人が一度だけ通れるんだそうです。そこを入っていきます。c02kokyuu2.JPG
ここは実は工事中なのですが、こう見えるという写真を飾ってくれるところに出くわしました。ここの脇を通っていきます。c02kokyuu3.JPG
次のところも工事中で、こう見えるという写真が飾ってあります。ここも脇を通って行きます。c02kokyuu4.JPG
石畳をずっと進んでいきます。c02kokyuu5.JPG
みなさん中を覗いていきます。c02kokyuu6.JPG
これは金が巻いてあったんだそうですが、外国兵が削って行ったんだそうです。その屈辱を忘れないために、削ったまま置いて有るんだそうです。c02kokyuu7.JPG
お宝を飾ってある所だそうです。c02kokyuu8.JPG
お后様の絵で飾りを示しています。c02kokyuu9.JPG
金の細工品ですね。c02kokyuu10.JPG
ここから、いったん外に出ました。天安門の逆のところです。

次は、飲茶のところで食事してから、胡同(フートン)を三輪車で回ります。c02futon1.jpg
三輪車は工事中で狭くなっている場所も器用に進んでいきます。c02futon2.jpg
なお、この写真の、胡同だけの日本語ガイドがついて回ってくれました。さて、今からというところで、自然に呼ばれて、ガイドさんの案内で歩いてトイレに。昔ながらのトイレですけど大丈夫ですか、と聞かれましたが、小さい方で大丈夫。入って、大きな方でしゃがんでいる方と目が合いまして、きまり悪かったのですけど、何とか済みました。c02futon3.jpg
トイレは、この商店街の裏手でした。c02futon4.jpg
アメの作り物でしょうか。下の写真の一部拡大です。c02futon5-1.jpg
道ばたで色んなモノを売っています。c02futon5.jpg
これは有名な海賊版DVDですね。トム・クルーズのMission Impossible:3が有ります。c02futon6.jpg
三輪車が列を連ねて行きます。c02futon7.jpg
フートンの住所表示になるんでしょうか、それぞれの名前を掲示してあります。c02futon8.jpg
それぞれ門構えによって、(昔の)身分が分かるそうです。武士だったとか。c02futon9.jpg
私たちが案内してもらったフートンのご主人は、切り絵の作者なんだそうです。観光客に開放してくれるフートンが幾つも有るんだそうです。c02futon10.jpg
フートンの中の小さな広場です。ここでご主人とお話させてくれました。この周りに寝室、台所、仕事場などが配置されます。この上に見えるのは野菜類が育っているものです。カボチャとかです。c02futon11.jpg
これでまた三輪車で元の所に戻りますが、一杯の三輪車が客待ちしていました。結構競争もあるそうで、派閥ごとにけんかとかいやがらせもあるそうです。

その後、後海という、湖が公園になっているところに行きました。そこにスターバックスがあるのですが、そこで一服。天気が良くなってきて暑いし、結構込むし、まあ繁盛してました。c02futon12.jpg
足こぎのボート、モーターのボートなど、一杯出ています。泳ぐ人も居たのですが、陳さんによれば、田舎の人が風呂代わりに入るとのこと。c02futon13.jpg
蓮の実と花を売っています。日本には無いでしょうね。c02futon14.jpg
網の仕掛けで釣りをしている人です。真ん中に餌を置いています。水に沈めて暫く待つんだそうです。c02futon15.jpg
網を上げるとこのとおり、海老の大漁ですね。c02futon16.jpg
商店街には、屋上のビアガーデンですね。c02futon17.jpg
商店街を出たところには、マクドナルドです。c02futon18.jpg
電気屋さんがあったので、覗いてみました。カメラは駄目だそうでした。c02futon19.jpg
この後、四川料理を食べたのですが、とんでもない辛さでした。頑張って私だけは食べました。

長城

長城に向かうのですが、その途中で立ち寄った七宝焼きの工場です。
焼き上げる模様とか絵付けを日本語解説付きで紹介してくれます。c01sippou1s.jpg
特に有名なものだそうで、立派でした。c01sippou2.JPG

いよいよ長城に向かいます。この途中で数十万人の兵士が居るという大きな軍の施設の横を通っていきます。戦車の修理とかも出来るんだそうです。北京の北には山脈があり、それが天然の要害になるみたいですが、その唯一の通り道に、八つの方向に行けるという意味の八達嶺(はったつれい)万里の長城が築かれているみたいです。その要衝の背後に大部隊が構えているのでしょう。
今日の天気は曇りで霞んでいますので、遠くは霞んで見えません。まず、この写真は、高速道路上からで、入り口の門にまだ着いてない場所です。ここらの山は岩山のようです。山肌に岩が見えています。c01gw01.jpg
駐車場から歩いて入り口に向かいます。なお、私たちが止めた駐車場は外人用みたいで、中国人用の駐車場は30分ほども歩く離れた場所なんだそうです。c01gw02.jpg
上の写真の部分拡大ですが、兵隊さんが入り口で記念写真を撮っていました。c01gw03.jpg
入り口のところの直前の門は結構狭いです。c01gw04.jpg
入り口の手前です。c01gw05.jpg
入り口付近から最高部を見上げたところです。北京オリンピックのモニュメントが途中に飾ってあります。簡体字は読めませんが、英語でBeijing 2008 One World One Dream と書いてあります。c01gw06.jpg
わずか登ったところ、まだまだはるか先です。c01gw10.jpg
何カ所かの望楼のところは狭くなっています。望楼の中でいくつか通路があるみたいですが、中心の通路以外は用を足す人も居るので行かない方が良いでしょう。c01gw11.jpg
階段になってない場所の坂はまだゆるやかです。c01gw12.jpg
途中で数カ所、横のところで観光客向けの写真を撮る場所があります。駱駝や馬に乗って、衣装も借りられるるようになっています。衣装は多分遊牧民つまり攻めてくる側の衣装なんでしょう。チンギスカンになったみたいな気分を楽しもう、でしょうか。c01gw13.jpg
オリンピックのモニュメントの高さぐらいに来ました。c01gw14.jpg
最高峰が見えなくなりました。
でも最高峰の先は見えます。c01gw15.jpg
望楼を出て下り坂もあります。c01gw16.jpg
いったん、望楼の横の途中の観光客向けの写真をとる場所に迂回して進みますが、ここの駱駝の直ぐ横を通るので、蹴られないように、色んなモノをかけられないよう気にしながら進みます。c01gw17.jpg
ちょっと横を覗くと、ジェットコースターみたいなモノにたくさんのお客が乗っているみたいです。どこまで行くのか分かりませんが。c01gw18.jpg
上を見ると、この写真の右側ですが、今まで見えなかったロープウエーなのかゴンドラなのかが見えてきました。なお、この写真で左上ですが、何だか分からない飛翔物のようなものが写るかなと思いながらシャッターを切ったのですが、結局何だか分からないですね。c01gw19.jpg
最高峰直前の望楼の直前から最高峰を写しています。左側から入ったロープウエーの入り口が峰を貫いて右側に作られているみたいです。このロープウエーを使えば登るのも楽なのだろうに、行き方が分からない。c01gw20.jpg
最高峰がすぐの所に見えます。ここらでまた登る人が多く見えますが、多分ロープウエー経由の人なんだろうと思います。c01gw21.jpg
この望楼の上で土産物売りとかで混雑してました。記念写真を撮ってもらったのがここです。20元だったかな。祖父と祖母の写真を持った息子を撮ってもらった訳です。直ぐにプリントアウトしてラミネートして渡してくれます。おまけで日本円をくれないか、とねだるので、百円玉と一円玉を見せたら、ちゃんと百円を受け取りました。まあ、他の場所ならねだりに応じるつもりはありませんが、この場所まで上がってきての商売への敬意の為ですね。本当に大変な坂です。もうここまでにして、帰ることにしました。行き先の道が分からなかったこともあります。c01gw22.jpg
帰りの途中で見かけた、子供をかかえて、頑張るおとうさん。子供が覚えていてくれるといいですね。c01gw23.jpg
望楼の一つですが、道が左に見える階段しか通れないのですが、ここの階段は狭くて、行き交うのもやっとのところです。c01gw24.jpg
朱色の制服を着た人が清掃専門で配置されているみたいです。多分100mぐらいずつを分担しているのかな。c01gw25.jpg
やっと入り口付近まで戻ってきました。入り口の近くで、要塞の名残の大砲が飾ってあります。c01gw26.jpg

北京市の喧噪に戻ってきました。c01gwout1.jpg
北京オリンピックの主会場になるのかな、鳥の巣と言われるところの建設中の風景です。c01gwout2.jpg

お茶の所です。福建省?直送なので、お安いとか。日本語でお茶を何種類も淹れながら解説してくれます。隣のテーブルでは流ちょうな英語でやっています。c01tea1s.jpg

帰りの車中で想いました。長城を作らせた情熱は何なんだろう、と。陳さんによれば、漢民族は遊牧民より力が弱いんだそうで、だから作った、との意見です。それはそうなんだろうと思いますが、もう一つ自分的には腑に落ちない。合理性に欠けるのではなかろうか。こんな巨大なものを作っても維持するだけで国が傾くのではないか。それより、通商をするとか、政治的な妥協の方がはるかに経済的な合理性があるような気がします。ああ、それとね、こんな急な岩山は、山であるだけで十分な要害だろうとも思いました。その上に何で城壁が要るのか、屋上屋を重ねる実例として教科書に載せても良いような気が私はしました。百歩譲っても、頂上だけに砦を作れば足るのではないかとも思います。
とにかく登ってみて、ほんの僅かでも登ってみて、これは大変なことだと感じたのです。きっと、長城より合理的な戦略があると秦の始皇帝とか明の皇帝に進言する人はいくらでも居たはずです。まあ現代となって、歴史的な遺産として大事なものであるのは当然だし、これを維持していく意義は分かるのですけど、最初にこれを作った人に、その趣旨をお聞きしたいものですね。
それはさておき、心配していた天気も、雨は降らずに助かりました。曇っていたのが登るのにはかえって幸いでしたね。これで、今回の北京紀行の第一目的であった長城踏破は無事完了したのでありました。