それでもボクはやってない

監督 周防正行 の「それでもボクはやってない」を昨日テレビで見ました。

感想ですが、梨下に冠を正さず、が大事です。
満員電車に女性が乗っているなら可能な限り近づかないのは、通勤する男性としての不可欠な行動規範です。漫然と近づいてしまう行為は、それ自体が痴漢行為を助長しかねない行為として好ましくないでしょう。まあ、その以前に、ぎりぎりの時間で乗ろうとすること自体が社会人の心得として通常避けるべき行為です。それが、運悪くそのような羽目に陥ることがあったとすれば、自分が疑われることを避けやすくするため、例えばつり革とかに手を上げておくなどの配慮が必要でしょう。私なら、つり革を持つだろうし、つり革のないドア付近では周囲の人の目に見えるように、かばんを持たない手はドアの上に置きます、いやホントです。主人公は女性に近づく事を避けるべきでした。近づいてしまったら、背中を向けるべきでした。背中を向けられなかったなら、手を動かすなど不審な行為を避けるべきでした。
痴漢などの不良行為が世の中にあるのは社会常識として知っておくべき事柄でしょうし、それなら痴漢事件の冤罪事件があることも知っておかねばならない事柄だと思います。現に、映画ではそのようなアダルトビデオを主人公が保有していたことを明らかにしています。知っていれば、自分で自分を守ることは当然の帰結です。店の中に居てみだりにかばんを探したりしないのが、梨下に冠を正さずでしょう。
結局はこの冤罪事件は、主人公の不注意が招いた不幸な事件だと思います。なぜなら、これは先に述べた行動規範に反していることです。今回の映画では、主人公は隣に居た中年男が真犯人だとしているようですが、そのような可能性を満員電車では配慮して、仮にそのような犯行があれば積極的に女性を守る心がけが必要だと思いますが、そこを何もせずに見過ごしている。被害者の女子高校生が被害を訴えているのを理解せず漫然と放置し、その結果、自分に濡れ衣をかぶせられたのです。被害者と共に犯人を捜すなどしても良かった。濡れ衣もかわいそうだと思いますし、何とかできないか、とも思いますが、被害者が告発することの困難性を考えると、不確実な訴えだとしても有罪と認定するのも場合によりやむを得ないと考えます。
科学の分野でも、無いことを無いと立証するのは極めて困難です。悪事を行っていないことを自ら立証できるべく、色んな形で記録をするとか、周りから分かりやすい行動をとるなどの配慮が社会人として必要なのだと思います。せちがらい世の中としての嘆きも聞こえてくる気がしますけれど、現実を見て行動するのが社会人でしょう。
この映画は、結局はそのような事柄を観客に考えてもらうのが狙いなのかと思います。なぜなら、一方的に主人公の側にだけ立っているのでもなく、裁判官が判断する過程も描いているからです。生きる上の知恵を教えるための人生リテラシーの映画なのかな。まあ刑事事件の課題も盛り込まれています。社会正義の実現は一筋縄ではいかないものですが、それでも手をこまねいていればいけないですね。ただ、見終わるまで、この映画に大逆転があって、実は主人公が犯人だったが無罪になった、という結末もあるか、とも予想したのですが、それは違っていました。

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