ニュースの立場

今日はニュースが無いので、以前の山根一真氏の阪神淡路大震災のニュースの話しを取り上げます。一カ所に、どのマスコミも来て放映していったという話しです。私の記憶では、ニュース映像を見ても分からなくて気をもんだのが、どこの場所なのか皆目分からなかったことです。多分記者達にも分からなかったことでしょう。でも手がかりになる場所さえ撮してくれたなら、自分が育った場所が写れば私には分かるかもしれないと期待して見ていたのです。でも、その手がかりになる映像は皆無でしたね。
このとき丁度私は東京の研修施設勤務でした。兄弟が住んでいる場所が被害に遭ったのですから、何とか研修生を引き連れての実地研修とかの名目を立てて応援に行けないものかと、探ってみはしましたが、すぐに壁に当たり、ひたすら気をもみながらニュースを見るばかりでした。そしてはっきり言えた事はこうです。救難に責任を持つ者なら、決してニュース映像のような撮り方はしないだろうことです。最低限、被害の様子全体を撮ります、一番燃えている場所だけではなくて、無事な場所を含めて全体を撮る努力をします。場所も自分で分からなければ、俯瞰からズームアップにして、見る人の誰かなら分かるよう気を配るでしょう。
結論はこうです。救難には、救難を目的とする独自の映像メディアが不可欠です。マスメディアは当てに出来ません。もちろん、マスメディアの存在意義が極めて大きいのは分かっていますので、この文章がマスメディア反対とかの趣旨と読めたならば、私の筆の誤りです。両方がとても大事です、という趣旨です。

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