間宮林蔵の墓

今日は12163歩でした。カメラを持って出たのですけど、ウグイスらしきものは見えず。そこで別の目標を写しました。

朝の通勤路に立派な間宮林蔵の墓があります。道路から直ぐ入れる場所です。s-p1090063_edited.jpg
感心するのは、きれいに手入れされ、献花されていることです。
道路脇にこの墓の由来の標が建っており、次のように書いてあります。

間宮林蔵墓
間宮林蔵(まみやりんぞう)は、安永九年(1780、一説に安永四年)、常陸国(ひたちのくに、茨城県)筑波郡上平柳村(つくばぐんかみひらやなぎむら)に生まれ、天保十五(1844)年に深川蛤町(はまぐりちょう)の家で没しました。
名は倫宋(ともむね)といい、伊能忠敬に測量を学び、寛政十二(1800)年に幕府の蝦夷地御用雇となり、蝦夷(北海道)をはじめとする北地探検と測量に従事しました。
文化五(1808)年、幕命により松田伝十郎とともに樺太(サハリン)を探検した林蔵は翌年七月二日単身樺太からシベリアへ渡って沿海州に入り、黒竜江(アムール川)をさかのぼりデレンに達しました。この十五カ月間におよぶ探検で、樺太が島であることが明らかとなりました。
林蔵は後に間宮海峡と命名される海峡を欧米人にさきがけて発見したことにより、地理学者、探検家として世界的に有名となりました。
平成二年二月一日 江東区教育委員会

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