レポート提出条件
課題 条件
第1課題
添付ファイルによる提出: 添付ファイルによる提出は不可
文章直接入力の要否 : 文章入力欄への入力が必須
レポートの文字数制限 : 1200~2000文字
課題 内容
日本人はなぜ無宗教なのか 日本人は「宗教」に関する意識調査などをみると自分が「無宗教」だと考えている人が少なくない。またウェブ上で「宗教」に関するネガティブな意見を多く見かける。なぜ日本人は「宗教」に対してネガティブなイメージを抱くようになったのか。そのイメージはどのように形成されたと考えられるか。複数の要因をあげて考察してください。
課題解説
課題 内容
第1課題
以下の項目に重点を置いてレポートを作成してください。
<課題把握>
【レポート課題の問い】を正確に理解できているか?
<教材理解>
【シラバスの学習範囲の内容】(とりわけ、教材の主張、専門用語、重要な論点など)を正確に理解できているか?
【レポート課題に必要なテキストの内容】を正確に理解できているか?
テキスト以外の関係資料を参照して、【主題】を多角的に理解できているか?
<論理構成>
【レポート課題とあなたの結論】がしっかりと対応しているか?
<原稿作法文章作法>
【引用・参考文献】(本文中と文末のリスト)の記載方法に誤りはないか?
「東アジア価値観国際比較調査」(https://www.ism.ac.jp/~yoshino/ap2/jp/table_jp2010.html)などの調査報告によると日本人は約7割が自身を宗教にかかわっていないとしている。一方で「宗教的な心」大切だと思うかという問いに、同じく7割が大切だとしている。また、種々の「組織」に対する信頼度調査において「宗教団体」には約8割が「信頼しない」という調査結果がでている。宗教や信仰心は大事だと思いながらも「宗教」にコミットせず否定的な意識を持っていることがわかるが、このような意識・イメージはどのように形成されてきたのかを考察してみてください。多くの要因があげられるとおもいますので、テキストの20頁、および次のキーワードも参考にして考察してみてください。キーワード:メディア、宗教教育、「宗教」概念。
第1課題 回答案
教科書P21Ⅰ-10宗教意識論 「阿満利麿(あま としまろ)は、日本人が「無宗教だ」という際、「特定宗派の信者ではない:、あるいは「特定宗派に限定されることへの抵抗がある」という意味で述べているのであって、キリスト教でいわれる「無神論者」ということではないと指摘している。そのようなニュアンスのブレがおこる歴史的背景として、そもそも「宗教」という語が明治の初頭にreligionの翻訳語として外交上新たに登場し、キリスト教的な概念のニュアンスを含んだまま、日本人の実感とはかけ離れたところで、「宗教」の語や宗教制度が形づくられたことが説明されている。」「このような「特定宗派」への抵抗感はまた、オウム真理教の地下鉄サリン事件などの教団による社会とのトラブルなども影響しているだろう。」
文献3 P3 日本人は無宗教なのかーーー発明された「非宗教」 「阿満は、回答者が「宗教」を信じないというときには創唱宗教を念頭においていると推測した。つまり特定の教祖がいて定まった教義を教え、伝えるというタイプの「宗教」である。それに対して、「宗教心」は大切だというときには、創唱宗教には当てはまらない自然宗教を念頭においているとした。(引用者略)つまり、「無宗教」だと思っている日本人の多くが実は無宗教的ではないということである。」
文献3 P4 「明治に入ると神社は国家の宗祀であることが宣言され、私的に信じられるべき「宗教」と同列にはされず、諸宗教を超越していると定められた。」「政府はキリスト教の宣教を正式に認め、それと引き換えに1900年に内務省の社寺局を廃止して神社局と宗教局を設置する。このことが「神社非宗教」の姿勢を制度的に固めた。」
文献3 P5 「戦後の政教分離訴訟においては、しばしば「宗教」ではないということが政教分離原則に抵触しないことの根拠とされた。(引用者略 津市地鎮祭訴訟で最高裁で)宗教は私的なもので神道儀礼は公的なものだという戦前の二分法が、宗教は特殊なもの、神道儀礼は一般的で世俗的なものだという二分法にすり替わっている。つまり、社会に薄く広まったものは宗教と見なさないという見解である。」
文献3 P6 「(引用者略 「宗教」という言葉の)含意やイメージは(引用者略)迷信、私事、外来、古層という4つの「宗教」イメージである。」
文献3 P9 非宗教の三類型ーー神道行事、葬式仏教、民間信仰・スピリチュアリティ 「非宗教の三形態は実は神道、仏教、民間信仰に根ざしており、自分は無宗教だと思っている人でも、本当に一切の宗教活動をおこなっていないのは一割しかいない。」
文献3 P12 「宗教と非宗教の線引きを複数の方法で問い直すことが可能である。」
文献3 P211 争点4 日本人は他宗教に寛容なのか?「「一神教は不寛容で、多神教の日本人は他宗教に寛容である」という言説は、事実と正反対だと結論できる。宗教を軽視するから無節操に折衷しているだけであり、外来宗教との接触が少ないから、自分たちは寛容だと思い込んでいるだけである。」
文献4 「日本人は約7割が自身を宗教にかかわっていないとしている。一方で「宗教的な心」大切だと思うかという問いに、同じく7割が大切だとしている。また、種々の「組織」に対する信頼度調査において「宗教団体」には約8割が「信頼しない」という調査結果がでている。宗教や信仰心は大事だと思いながらも「宗教」にコミットせず否定的な意識を持っている」
文献1 よくわかる一神教 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教から世界史をみる 佐藤賢一著 集英社 2021.6
文献2 ユダヤ教・キリスト教・イスラームは共存できるかーーー一神教世界の現在 森孝一編 明石書店 2008.12
文献3 いま宗教に向きあう1 現代日本の宗教事情、<国内編Ⅰ> 堀江宗正編 岩波書店 2018.9
文献4「東アジア価値観国際比較調査」(https://www.ism.ac.jp/~yoshino/ap2/jp/table_jp2010.html)
文献5 ユダヤ教キリスト教イスラーム 一神教の連環を解く菊地章太著 ちくま新書 2013.12
回答案 日本人は自分を無宗教と考える人が多いが、宗教や信仰にかかわることを信じている人も多いとされる(教科書P20)。このような意識・イメージはどのように形成されてきたのかを考察する。
(1)日本人の宗教意識
文献4にあるように、「日本人は約7割が自身を宗教にかかわっていないとしている。一方で「宗教的な心」大切だと思うかという問いに、同じく7割が大切だとしている。また、種々の「組織」に対する信頼度調査において「宗教団体」には約8割が「信頼しない」という調査結果がでている。宗教や信仰心は大事だと思いながらも「宗教」にコミットせず否定的な意識を持っている」。このように自らを無宗教と考える人が多く、宗教に否定的な意識を持つ人が多い。
(2)自分を無宗教であると考えるのは、明治以来の国策として進めた、宗教と習俗の分離の影響ではなかろうか。
江戸時代には仏教と神道が混交する中で、キリシタン禁制を進めるための宗門人別帳などが作成された。これは仏教寺院が国民の戸籍係に相当する事務を請け負う、いわば役所の役割を果たしていたと歴史上で言われる。それが明治以来、国家神道化が進められる過程で、神道が宗教の範疇からはみ出さざるをえなくなるような政策が実施されている。例えば、文献3では、「明治に入ると神社は国家の宗祀であることが宣言され、私的に信じられるべき「宗教」と同列にはされず、諸宗教を超越していると定められた。」「政府はキリスト教の宣教を正式に認め、それと引き換えに1900年に内務省の社寺局を廃止して神社局と宗教局を設置する。このことが「神社非宗教」の姿勢を制度的に固めた。」などである。諸外国向けには信教の自由を認める一方で、国内で祭政一致の実を得るための政策であろうか。
明治から昭和にかけての、神道国教化の影響は、戦後の日本でも色濃く影響が残っているのではなかろうか。例えば、文献3であげる最高裁判決では、「戦後の政教分離訴訟においては、しばしば「宗教」ではないということが政教分離原則に抵触しないことの根拠とされた。(引用者略 津市地鎮祭訴訟での最高裁判決で)宗教は私的なもので神道儀礼は公的なものだという戦前の二分法が、宗教は特殊なもの、神道儀礼は一般的で世俗的なものだという二分法にすり替わっている。つまり、社会に薄く広まったものは宗教と見なさないという見解である。」このような見解は、法的には最高裁判例として影響力を現在でも残すが、結局は日本人に残された宗教へのイメージを明文化したものと言えるのではないだろうか。
つまり、習俗は宗教でないと定義されているのだから、実際の習俗が実態として宗教であったとしても、それを日本人の意識中では宗教でないと分類してしまうのである。
(3)宗教や信仰心は大事だと思いながらも「宗教」にコミットせず否定的な意識を持っているという特定宗派への抵抗感についても、明治以来の宗教的事件の影響があるのではなかろうか。
歴史を紐解くと、仏教初期伝来の時代でも宗教に関連する紛争はあったとされている。各時代で宗教関連の争議がそれぞれあったと言われていると思う。明治の始まりの頃にも廃仏毀釈の争議があった。昭和から現在に至るまででも、オーム真理教の事件だけでなく、多くの事件が日本人の記憶にあるのではなかろうか。これらの事件は決してプラスの記憶として残るものではなかったと思う。これらの社会の耳目を驚かせるような事件の中心として宗教が取りざたされることが、延々と繰り返されてきたのではなかろうか。
国外に目を向けても、大きな戦争の渦中に宗教が無関係な方が少ないのではなかろうか。
これらの紛争の原因ともされることの多い宗教であるから、日本人としては、可能ならそれらからの距離を置きたいと考えても無理がないのではなかろうか。まして、習俗は宗教ではないとの定義が日本人にはしみ込んでいるので、(実質は宗教であるところの)習俗によって心の安らぎを得ているのであれば、いわゆる宗教には否定的であっても、自分の事とは思わず、我関せずになれるのである。
その他にも、例えば「坊主丸儲け」とかの、決して肯定的でない物言いが普及してきた現実は、仏教宗派に限らず、エスタブリッシュメントとしての既成宗派への反感が養われてきたのではなかろうか。これらも否定的な意識の結果かもしれない。
Q.1 必須
日本人は「宗教」に関する意識調査などをみると自分が「無宗教」だと考えている人が少なくない。またウェブ上で「宗教」に関するネガティブな意見を多く見かける。なぜ日本人は「宗教」に対してネガティブなイメージを抱くようになったのか。そのイメージはどのように形成されたと考えられるか。複数の要因をあげて考察してください。
1: (1)日本人の宗教意識
2: 文献4にあるように、「日本人は約7割が自身を宗教にかかわっていないとしている。
3: 一方で「宗教的な心」を大切だと思うかという問いに、同じく7割が大切だとしている。
4: また、種々の「組織」に対する信頼度調査において「宗教団体」には約8割が「信頼しな
5: い」という調査結果がでている。宗教や信仰心は大事だと思いながらも「宗教に」コミッ
6: トせず否定的な意識を持っている」。このように自らを無宗教と考える人が多く、宗教に
7: 否定的な意識を持つ人が多い。
8: (2)自分を無宗教と考えるのは、明治以来の国策として進めた、宗教と習俗の分離の影
9: 響ではなかろうか。
10: 江戸時代には仏教と神道が混淆する中で、キリシタン禁制を進めるための宗門人別帳な
11: どが作成された。これは仏教寺院が幕府にかわり戸籍係に相当する事務を請け負う、いわ
12: ば役所の役割を果たしていたと歴史上で言われる。それが明治以来の国家神道化が進めら
13: れる過程で、神道が宗教の範疇からはみ出さざるを得なくなるような政策が実施されてい
14: る。例えば、文献3では、「明治に入ると神社は国家の宗祀であることが宣言され、私的
15: に信じられるべき「宗教」と同列にはされず、諸宗教を超越していると定められた。」「
16: 政府はキリスト教の宣教を正式に認め、それと引き換えに1900年に内務省の社寺局を廃止
17: して神社局と宗教局を設置する。このことが「神社非宗教」の姿勢を制度的に固めた。」
18: などである。諸外国向けには信教の自由を認める一方で、国内で祭政一致の実を得るため
19: の政策であろうか。
20: 明治から昭和にかけての、神道国教化の影響は、戦後の日本でも色濃く影響が残ってい
21: るのではなかろうか。例えば、文献3であげる最高裁判決では、「戦後の政教分離訴訟に
22: おいては、しばしば「宗教」でないということが政教分離原則に抵触しないことの根拠と
23: された。(引用者略 津市地鎮祭訴訟での最高裁判決で)宗教は私的なもので神道儀礼は
24: 公的なものだという戦前の二分法が、宗教は特殊なもの、神道儀礼は一般的で世俗的なも
25: のだという二分法にすり替わっている。つまり、社会に薄く広まったものは宗教とは見な
26: さないという見解である。」このような見解は、法的には最高裁判例として影響力を現在
27: でも残す。これは日本人に残された宗教へのイメージの一面を明文化している、と言える
28: と思う。
29: つまり、習俗は宗教でないと定義されているのだから、実際の習俗が実態として宗教で
30: あったとしても、日本人の意識中では宗教でないと分類してしまうのではなかろうか。
31: (3)宗教や信仰心は大事だと思いながらも「宗教」にコミットせず否定的な意識を持っ
32: ているという、特定宗派への抵抗感についても、明治以来の宗教的事件の影響があるので
33: はなかろうか。
34: 歴史を紐解くと、仏教初期伝来の時代でも宗教に関連する紛争があったとされている。
35: それぞれの時代で宗教関連の争議がそれぞれにあったと言われていると思う。明治のはじ
36: まりのころにも廃仏毀釈の争議があった。昭和から現在に至るまでも、オーム真理教の事
37: 件だけでなく、多くの事件が日本人の記憶にあるのではなかろうか。これらの事件は決し
38: てぷrスの記憶として残るものではなかったと思う。これらの社会の耳目を驚かせるよう
39: な事件の中心として宗教が取りざたされることが、延々と繰り返されてきたのではなかろ
40: うか。
41: 国外に目を向けても、大きな戦争の渦中に宗教が無関係なのは少ないのではなかろうか。
42: これらの紛争の原因ともされることの多い宗教であるから、日本人としては、可能なら
43: それらからの距離を置きたいと考えても無理がないと思う。まして、習俗は宗教ではない
44: との定義が日本人にはしみ込んでいるので、(実質は宗教であるところの)習俗によって
45: 心に安らぎを得ているのであれば、いわゆる宗教に否定的であっても、自分の事とは思わ
46: ず、我関せず、になれるのである。
47: その他にも、例えば「坊主丸儲け」とかの、決して肯定的でない物言いが定着してきた
48: 現実は、仏教各派に限らず、エスタブリッシュメントとしての既成宗派への反感が養われ
49: てきたのではなかろうか。
文献3 いま宗教に向きあう1 現代日本の宗教事情<国内編>堀江宗正編 岩波書店 2018.9
文献4 「東アジア価値観国際比較調査」 https://www.ism.ac.jp/~yoshino/ap2/jp/table_jp2010.html
レポート第1課題 ×
総合評価A担当教員名:平良 直
合否合格
項目別評価
課題把握A教材理解A
論理構成A原稿作法・文章作法A
コメント野上さん
レポート拝見いたしました。歴史的な経緯もふまえて日本人の「宗教」イメージについてバランスよく考察してくれました。内容、構成とも高く評価いたしました。
「宗教」は明治期にreligionの翻訳語として定着しました。それゆえ、キリスト教がモデルとなっています。このイメージがどうしても払拭できず教会組織や教義、特定集団型の宗教伝統、およびプロテスタント諸教派および新宗教のイメージが先行する傾向があります。またすべての宗教をもれなく包括するような定義をすることもかなり難しいということが一般的な認識です。たとえば慣習化した儒教的な伝統ははたして宗教か、などと言われたりいたします。
このように厳密に規定することが難しい宗教ですが、人間の価値や意味にかかわる事柄もすべて「宗教」だと非常にひろく規定すると思想も、道徳も倫理も諸習慣などもすべて宗教か、となってしまい、境界があいまいになります。
このようなあるイメージが先行する「宗教」についての情報がマス・メディアのネガティブな情報で「宗教」イメージがネガティブなものとして定着するという悪循環となっています。さらに、公教育では「宗教」教育が行われる機会が極めて少ないのでバランスの取れた知識・情報のインプットがない状況があり、さらに「宗教」について語る言葉を持つことができない状態にあります。もちろん、宗派教育、特定の宗教伝統に偏った教育、および教える側の価値評価が入った教育はしてはなりませんが、「宗教」についての情報は「信教の自由」に留意しつつ知識教育を充実させるべきだと考えられます。その方法は難しいところですが。日本では大学教育にならないとその機会がないのが現状です。旧統一教会にまつわる問題も日本社会の「宗教」への認識の不足が関係しているところがあるともいえます。
ぜひ今後も考察を深めていっていただきたいと思います。レポートお疲れ様でした。