倫理学の話 品川哲彦 ナカニシヤ出版

A Talk about Ethics
第Ⅰ部 倫理学とはどのような学問か
第1章 倫理学とはどのような学問か
1 倫理と倫理学の違い
 倫理(道徳)とは、規範と価値を含み、複数の倫理的判断がお互いに矛盾せずひとつの体系を形作っているもの。
 倫理学とは、倫理(道徳)について考える学問。
 倫理学概論 I 第1回 倫理学とはなにか倫理学とは、規範の根拠について考える学問です。
 規範とは「〜はわるい」「〜はよい」「〜してはいけない」「〜してもよい」「〜すべきだ」「〜すべきではない」といった文で表現されることがらであり、規則、ルール、戒め、金言、法律、倫理、道徳などの内容をなしています。また、それは「権利」「義務」「責任」などの言葉によって表現されることもあります。
 規範の根拠について考えるとは、どうして「〜はわるい」のか、なぜ「〜はよい」のか、どうして「〜してはいけない」のか、なんで「〜してもよい」のか、なぜ「〜すべき」なのか、なんで「〜すべきではない」のか、というようなことを考えることです。

2 規範倫理学
 規範倫理学(道徳哲学)とは、倫理的判断の理由を探求し、その倫理的判断が支持されるときの条件を探求する。
 規範倫理学 – Wikipedia規範倫理学(きはんりんりがく、英: normative ethics)とは、倫理的行為に関する学問分野である。哲学的倫理学の一領域であり、道徳的な観点から見て、人はいかに行為すべきかにまつわる諸問題を探求する。規範倫理学はメタ倫理学とは次の点で異なっている。つまり、メタ倫理学は道徳的言語の意味と道徳的事実に関する形而上学を扱うのに対し、規範倫理学は行為の正しさと不正の基準を検討するものである。また、人々の道徳的信念についての経験的探求である記述倫理学とも、規範倫理学は区別される。別の言い方をすれば、記述倫理学は、例えば、「殺人は常に不正である」と信じる人びとの割合がどれほどかを調査するのに対し、規範倫理学は、そのような信念が正しいのかという事柄自体を検討することに関心を持つ。したがって、規範倫理学は時に、記述的(descriptive)ではなく指令的(prescriptive)な学問であると言われる。しかし、道徳的実在論と呼ばれる特定のメタ倫理学的立場によると、道徳的事実は記述的であると同時に指令的でもあるとされる[1]。

3 記述倫理学あるいは倫理思想史
 記述倫理学あるいは倫理思想史とは、過去の倫理理論や異なる文化の倫理を記述する。

4 メタ倫理学
 メタ倫理学は、倫理的判断に用いられる語の意味を分析し、倫理的判断が持つ性質を、さらには、倫理とはどのようなものかを考察する。
 メタ倫理学 – Wikipediaメタ倫理学(メタりんりがく、英語:metaethics)とは倫理学の一分野であり、「善」とは何か、「倫理」とは何か、という問題を扱う。規範の実質的な内容について論じる規範倫理学と異なり、メタ倫理学においては、そもそもある規範を受け入れるというのはどういうことか、ということについての概念的分析、道徳心理学的分析、形而上学的分析などを行う。

第2章 倫理の好きなひと/ 嫌いなひと、倫理学の好きなひと/嫌いなひと
1 二〇世紀の倫理学ーーーメタ倫理学への注目
 ムア 善は定義できない。倫理的判断の本質は、すでに存在している物事についての判断ではなく、まだ現実には存在していない事柄を現実化することが要請される。事実についての判断と倫理的判断は類を異にしているので、事実だけから倫理を導出はできない。
 未決問題論法 ムーアの未決問題論法 – ピラビタール*1:佐藤岳詩『メタ倫理学入門』勁草書房では、「開かれた問い論法」と紹介されている
2 道徳的な行為への勧めは叫びにすぎないーーー情動説の挑発
 真偽が一義的に定まる判断を命題とし、命題が組み合わさったものだけを学問(科学)だとする実証主義的科学観からは、倫理的判断は命題ではなく、学問としての倫理学に残るのはメタ倫理学だけであるとするのが情動説である。情動説からは、「xすることはよい」という判断は「私はxしよう。君もそうしたまえ」という叫びとなる。
3 情動説の後退と応用倫理学の登場
4 倫理の好きなひと/嫌いなひと、倫理学の好きなひと/嫌いなひと

第Ⅱ部 倫理(道徳)の基礎づけ
第3章 倫理(道徳)を自己利益にもとづけるアプローチ(一)ーーープラトン
1 ノモスとピュシス
 ノモス(監修、法)とピョシス(自然)
 ノモス – Wikipediaノモス(古希: νόμος, pl.: νόμοι, 古代ギリシア語ラテン翻字: nomos)は、古代ギリシアにおいて用いられた社会概念で、法律、礼法、習慣、掟、伝統文化といった規範を指した。語源は「分配する」を意味する動詞のnemeinで、ノモス本来の原義は「定められた分け前」である。そこからポリス社会が氏族制をとった古い時代には「神々・父祖伝来の伝統によって必然的に定められた行動規範」と認識されていた。[1][2]
ポリス社会が高度に発展して民主主義と自然哲学の出現した紀元前5世紀(枢軸時代も参照のこと)になると、ノモスの名で認識されていた規範は自由を束縛する意味のない因習・強制力と見られるようになった。新興のソフィスト達はこの社会的要請に応え、新たな規範として「自然」、「ものの本来あるがままの姿」を意味するピュシスあるいはフュシス(古希: φύσις, 古代ギリシア語ラテン翻字: physis)を持ち出してノモスからの開放を唱え、弱肉強食に代表されるような自然の規範を、人為的、主観的なノモスに掣肘されずに人間社会もとるべきとしてピュシスのあり方を探求した。[1][2][3]
こうした風潮に異議を唱えたのがソクラテスや彼の弟子のプラトンであり、彼らはピュシスそのものがノモスと不可分なものであると唱えてノモスの尊重を主張した。[1]

2 魂の三区分説ーーー心理学的な論証
 魂(理性、危害、欲望)
 魂の三区分説とは、魂の三分説 – Wikipedia以下の3つから成る。
理知(希: λόγος, ロゴス)
気概(希: θυμός, テューモス)
欲望(希: ἐπιθυμία, エピテューミア)
プラトンは、理性の抑制で欲望を制御し、倫理の遵守を自己利益に根拠づけた。

3 太陽の比喩ーーー形而上学的な論証
 ものを見るのに太陽の光が必要であると同じく、善のイデアが太陽に例えられ、善のイデアこそが諸々のイデアに実在を備える。 

第4章 倫理(道徳)を自己利益にもとづけるアプローチ(二)ーーーホッブズ
1 万人の万人にたいする戦い (P43)
 万人の万人にたいする戦いとは、「社会が形声される以前の自然状態とは、ホッブスによれば、万人の万人にたいする戦いにほかなりません」
 自然状態には理性によって発見される法、自然法がある。自然権の行使を控える契約を人びとのあいだで交わしたら、その契約は最初の法ないし倫理になる。したがって、倫理を守るのは自分のためです。「履行を強制するのに十分な権利と強力をもった共通の権力」が必要である。(P47)
2 合理的な利己主義者なら、ひそかに契約を破らないか
 不正はいずれ処罰されるので、利益にならない。(P49)
3 善とはそのひとが欲求するものにほかならない

第5章 自然観と倫理観、ないし、形而上学と倫理学
1 目的論的自然観
 自然現象とは目的因によって定められた目的の実現に向かう過程である。(アリストテレス P55)
2 人間の本性に応じたひとつの自然法が存在するかーーートマス
3 機械論的自然観